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日清・日露の戦争戦勝記念日と何故ないのか?

1 :日出づる処の名無し:2007/10/28(日) 21:01:35 ID:8V+thih/
諸外国では戦勝記念日があるのに何故我が国にはないのか?

大東亜戦争の終戦記念日を強調しすぎるのはよろしからず。

明治維新からの我が国の真価を祝う日があってもよいはずだ。

2 :日出づる処の名無し:2007/10/28(日) 21:20:22 ID:rZLRKeAG
そういえば、戦勝がいつなのか知らねえな

3 :日出づる処の名無し:2007/10/28(日) 21:22:44 ID:dzFcLRyi
5月27日、日本海海戦の日とかもいい。

4 :日出づる処の名無し:2007/10/28(日) 21:37:10 ID:8V+thih/
日清戦争の下関条約が締結されたのが1895年4月17日
この日が我が国が日清戦争戦勝国になった日ですね。

@清国が朝鮮の独立を認めた
A遼東半島、台湾、ホウコ列島の割譲
B賠償金二億両の支払い
完璧な勝利でした。

5 :日出づる処の名無し:2007/10/28(日) 21:47:52 ID:8V+thih/
日露戦争戦勝国になった日は1905年9月5日が講和条約に調印した日ですね。


6 :日出づる処の名無し:2007/10/28(日) 21:49:11 ID:pfwpsi1x
併合記念日は?

7 :日出づる処の名無し:2007/10/28(日) 21:50:39 ID:Za1omTAi
確かに!
戦勝記念日が無いのはとても不思議だ。

8 :日出づる処の名無し:2007/10/28(日) 21:52:34 ID:8V+thih/
>>6
日韓併合記念日は、1910年8月22日に日韓併合条約に調印していますよ。

9 :日出づる処の名無し:2007/10/28(日) 22:00:55 ID:St6X10iA
でもこういうのって人によって考え方が違うんだよなぁ。
例えば>>4の理論だと大東亜戦争終結日が八月十五日ではなく
九月二日(三日)になったり。
日露戦争も五月二十七日ではなく九月五日になったり・・・・・・。
とくに日露戦争は三ヶ月近くも開きがあるから「どっちでもいいじゃん」
というわけにいかないから少々揉め事になりうるやもしれん。

10 :日出づる処の名無し:2007/10/28(日) 22:01:50 ID:dzFcLRyi
併合記念日は要らん。めでたくない。迷惑。
伊藤博文公が安重根とかいうアホウに撃たれさえしなければねえ・・・。

11 :日出づる処の名無し:2007/10/28(日) 22:01:54 ID:8V+thih/
>>7
広島と長崎に原爆を投下された日や終戦記念日、韓国の光復節や中国の国辱日である満州事変の柳条湖事件などは、わざわざ各テレビ局が報道するのに、
日清戦争戦勝記念や日露戦争戦勝日の報道は無いばかりか、イベントの一つも聞いたことがない。

これはおかしいでしょう。
極東板でさえ、日露戦争戦勝記念日や日清戦争戦勝記念日を皆さん知らないぐらいだからね。

12 :日出づる処の名無し:2007/10/28(日) 22:09:52 ID:Za1omTAi
戦前はきっとあったかもしれないね。


13 :日出づる処の名無し:2007/10/28(日) 22:26:33 ID:8V+thih/
>>9
確かに実質的な戦闘の終了日か条約調印日かは分かれるところでしょうね。

まあ、私が訴えたいのは大東亜戦争は、明治維新からの近代化の過程で起こったのであって、大東亜戦争だけを取り上げても意味がないと言うことを申し上げたいわけです。
やはり、明治維新から大東亜戦争までを一貫性のある戦いであったと見直す必要があると思いますよ。
その上で、我が国が戦勝国であった事実を確認する作業が必要だと思います。


14 :日出づる処の名無し:2007/10/28(日) 22:55:13 ID:8V+thih/
明治維新から大東亜戦争を学ぶ事により、空想的平和主義を脱却し、自国を自ら防衛することによって国際社会の平和と安全に対する責任を果たすと言う重要な視野を持てるように努力したい。


15 :日出づる処の名無し:2007/10/28(日) 23:06:59 ID:8V+thih/
日本、清國、韓国

19世紀半ばの東アジアには、日本以外に清國、韓国とがあった。
いずれも鎖国を続けて、欧州列強とロシア、アメリカとによって開国を迫られていた。
中でも、清國はアヘンを密輸していたイギリス商人を摘発したことがきっかけとなり、
1840年イギリス軍に侵略され、旧式の清國軍は大敗し、半植民地化されそうであるという情報は、日本の幕藩体制に対する一大警鐘となった。


16 :日出づる処の名無し:2007/10/28(日) 23:08:34 ID:St6X10iA
>>13-14
なるほど。把握した。
確かにそういう志は決して軽視すべきものではない罠。
あと、それらの記念日に際しどのような姿勢で臨むかも
考える必要があるな。

17 :日出づる処の名無し:2007/10/28(日) 23:22:23 ID:8V+thih/
>>16
バランス感覚を養う事にも資する事にもなると思いますよ。
明治維新から大東亜戦争を一貫性のある戦いと見ることにより、過剰な平和主義や軍国主義を改められると思います。

そもそも、愛国心を自ら否定する国民は国際社会から尊敬されません。
それら記念日を通して、国際社会から尊敬される、国力と国情にふさわしい日本。
国際的責任を果たす名誉ある構成員としての日本を意識するべきだと思います。

18 :市民派護憲教師 ◆AdhoTeyXK. :2007/10/28(日) 23:22:29 ID:Dhb6Zfwu
侵略戦争の敗戦により明治維新後の日本のあり方は歴史と正義から完全否定されました。

19 :日出づる処の名無し:2007/10/28(日) 23:29:39 ID:8V+thih/
>>18

それは、戦後の誤った空想的平和主義ですよ。
大日本帝国が国際的に主権と独立を守り、国内的に近代化するという明確な政治目的を自覚していた間は、軍国主義は日本の国際的地位を高め、上からの近代化を推進するのに役立ったのですよ。

20 :日出づる処の名無し:2007/10/28(日) 23:51:40 ID:8V+thih/
軍国主義と言う言葉は、1860年代のプロイセンで、軍備の拡充を批判する意味で用いられた。
定義すると、軍事力ないし軍事的価値を過度に重視する思想及び体制です。
プロイセンの軍備拡充をめぐる政争の中から生まれた事が示しているように、軍国主義の概念は高度の政治性を持っており、宣伝的・扇動的な傾向を帯びていた。
1860年代のプロイセンでは、英国や仏国に比べて著しく遅れたドイツの統一を推進するためには、プロイセンの軍事力を強化するほかないという考え方が支配的となり、プロイセン・ドイツ軍国主義が形成された。
この軍国主義はドイツの統一という明確な政治目標を持っており、ローン陸相の編成した大軍事予算を、国会の反対を押し切ってでも実現するという宰相ビスマルクの強烈な意志により導かれていた。
当時の日本にあっても、風雲急を告げる極東アジアにあって、主権と独立を守り、国内的に近代化するという明確な政治目的を自覚していた間は、軍国主義は有効であったと考えます。

21 :日出づる処の名無し:2007/10/29(月) 00:18:07 ID:UHhrqS6h
戦後の空想的平和主義による誤り

×軍国主義=悪

×軍人、日本兵=悪

○日本が諸外国からの脅威を退けるために、最速で近代化を成し遂げる必要があった。
近代化するという目的を達成する為に、やむを得ずに選択したのが軍国主義であったのです。


22 :日出づる処の名無し:2007/10/29(月) 22:33:57 ID:UHhrqS6h
戦前の陸軍記念日は、奉天会戦の最終日を3月10日を祝われた。
ロシア軍
歩兵27万5000人
騎兵1万6000人
砲1219門

日本軍
歩兵20万人
騎兵7300人
砲992門

ロシア軍
戦死あるいは行方不明2万人以上
戦傷者4万9000人
捕虜2万人

日本軍
戦死1万6000人
負傷者5万9000人

大山、児玉両将軍の見事な統帥により、身長で平均10センチ、体重で20キロも劣る日本将兵の勇戦敢闘が優勢勝をもたらしたのは絶賛に値する。

23 :日出づる処の名無し:2007/10/29(月) 22:52:26 ID:UHhrqS6h
海軍記念日は5月27日、日本海海戦を記念して祝われた。
『皇國の興廃この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ』という信号旗を掲げロシア艦隊と決戦に突入。
東郷大将は有名なT字戦法をとり、ロシア艦隊の頭を抑えた。
旗艦三笠は敵の集中砲火を受けたが、日本艦隊はロシア艦隊を包囲攻撃する形になった。
ロシア艦隊
ウラジオストクに到達できたのは駆逐艦二隻とヨット一隻のみ。
人的損害
戦死4830人
捕虜
ロジェストビンスキー提督以下7000人

日本艦隊 損害
水雷艇三隻のみ
人的損害
戦死110人
戦傷590人
日本完勝ロシア惨敗でした。

24 :日出づる処の名無し:2007/10/29(月) 23:11:25 ID:UHhrqS6h
日本、清國、韓国

1853年七月ペリー提督率いる四隻の米軍艦が来航し、攘夷か開国かをめぐり大道乱が起こった。
しかし1868年には明治新政府が樹立される。
1871年の廃藩置県は、日本近代化の第一歩であった。
それから僅か二十年間で日本は東アジアの強国になっている。
日本は自力での近代化に成功した。

清國、韓国は自力での近代化に失敗した。

25 :日出づる処の名無し:2007/10/29(月) 23:20:26 ID:UHhrqS6h
日本の近代化=軍国化
日本の近代化は同時に軍国化であった事を忘れてはならない。
全ての分野における近代化は軍の近代化を機軸として推進された。
だから、日本では、近代化即軍国化であったといっても過言ではない。


26 :日出づる処の名無し:2007/10/29(月) 23:36:23 ID:MfrcGiX8
市民派護憲教師 ◆AdhoTeyXK.

27 :日出づる処の名無し:2007/10/29(月) 23:43:27 ID:UHhrqS6h
日本、清國、韓国の比較

なぜ、日本だけ自力での近代化に成功したのだろうか?
中世以来の日本に、西ヨーロッパの封地封建制に近い封建制が発達していて、潜在的に近代化を進めていたという事情も考慮されなければならない。
幕末の識字率が世界最高水準であった。
1868年
明治天皇が神々に誓う形で発表された新政権の基本方針
『五箇条の御誓文』の存在。
1、広く会議を興し万機公論に決すべし。
2、上下心を一にして、盛んに経綸を行うべし。
3 、官武一途庶民に至るまで、各々その志を遂げ、人心をして倦まざらしめん事を要す。
4 旧来の因習を破り、天地の公道に基ずくべし。
5 知識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし。

明治天皇を始め新政府の指導者が優れていた事が上げられます。
清國や韓国は、指導者が伝統と因習にとらわれ遅れをとったのです。

28 :日出づる処の名無し:2007/10/29(月) 23:54:44 ID:UHhrqS6h
明治近代化のエキスがギッシリ詰まった『五箇条の御誓文』
明治天皇なくして明治維新は有り得なかったのです。
明治節を復活させましょう!
11月3日は明治節です。

29 :日出づる処の名無し:2007/10/30(火) 00:00:10 ID:UHhrqS6h
皆さん、11月3日は明治節です!

明治大帝の御生誕の日であります。
御祝いを御願い致します。
戦前の四大節の復活を祈念して!

天皇皇后両陛下陛下万歳!


30 :夏彦 ◆z2v1usCPsk :2007/10/30(火) 21:23:44 ID:KjULED9R
天皇陛下のスレから来ました。

31 :日出づる処の名無し:2007/10/30(火) 23:22:55 ID:oJ0W9M7J
>>30
レス遅れてすいません。
戦前には極普通に行われていた行事や祝日、良き風習の復活を訴えていきたいですね。
戦後失われてしまったもので素晴らしいものは沢山あると思います。
御協力お願い致します。

32 :日出づる処の名無し:2007/10/30(火) 23:46:17 ID:oJ0W9M7J
四大節

四方拝、一月一日

紀元節、二月十一日

天長節、天皇誕生日

明治節、十一月三日


33 :日出づる処の名無し:2007/10/31(水) 00:21:35 ID:KYuobiA+
四方拝

平安時代初期の嵯峨天皇の時代に始まったとされるが、儀式として定着したのは宇多天皇の時代とされ、『宇多天皇御記』の寛平二年(990年)の元旦に行われたのが最古。


34 :日出づる処の名無し:2007/10/31(水) 00:42:48 ID:cw2e+8QV
真珠湾快勝記念日 12月8日
プリンス・オブ・ウェールズ撃沈記念日 12月10日

35 :日出づる処の名無し:2007/10/31(水) 01:27:28 ID:KYuobiA+
帝国主義の時代

19世紀の後半から第一次大戦までの時代は、帝国主義の時代と呼ばれる。
英国、仏国、独国、等の欧州列強はアフリカの分割を競い、アジアでも植民地の拡大に乗り出した。
日本にとって脅威だったのはロシアの膨張政策であった。
小さなモスクワ公国から出発して、ロシアは大変なスピードで国土を拡張し、1613年にロマノフ王朝が発足してから、1913年に至る300年間に、1日平均60平方マイルの割合で領土を拡大した。
一時は北アフリカ大陸の西岸まで達したというのだから、ロシアの膨張力は凄まじい。
しかし、1867年にアラスカをアメリカ合衆国に売却することにより、ロシアは北アメリカ大陸の制服を断念した。
そのかわりに、1891年にシベリア鉄道の建設に着手し、東アジアへの進出に乗り出した。
米国と中国とインドを合わせた面積に匹敵するロシア帝国は、シベリア鉄道の開通により日本の脅威となり、明治維新の指導者たちにとってロシアの当方進出は頭痛の種であっのです。


36 :日出づる処の名無し:2007/10/31(水) 01:42:07 ID:KYuobiA+
ロシアは極東政策の拠点であるウラジオストクをシベリア鉄道でロシア中枢部と結び付け、東方進出に拍車をかけ、さらにウラジオストクを守るため、朝鮮半島を制圧しようと虎視眈々と狙っていたのです。
他方、英国はインドを保持せんがため、ロシアが中国に進出することを警戒した。
19世紀の二大帝国主義国が朝鮮半島と満州に関心を持った事は興味深い。
当時の日本は東洋の小国でしかなかったが、1876年二月、日韓修好条約を結び治外法権を獲得。
朝鮮半島では、清國が宗主国として優位を保っていたが、日本は陸海軍の整備に努め、韓国から清國の勢力の排除に努めた。
帝国主義時代を今日の価値基準によって断罪することは公正とは言えない。
清國が韓国に宗主権を主張したのも歴史的にうなずかれるし、日本が軍事力によって韓国から清國を追い出そうとかんがえたのも、当時の国際権力政治の規範では論理的な事である。

37 :日出づる処の名無し:2007/10/31(水) 02:02:45 ID:KYuobiA+
実は、中国や朝鮮半島の人々が日本の軍国主義を非難しているのはお門違いであることがこの時代を勉強すると良く理解できます。
自力で近代化できなかった韓国や清國。
自らの國の指導者が無能であった事から目をそらせるために、日本を糾弾しているのです。
我が国は明治維新を再評価するべきなのです。
明治大帝は外国でも高く評価され、ロシアのピョートル大帝、プロイセンのフリードリッヒ大王、英国のビクトリア女王などと比較された。
明治大帝の崩御を伝えたロンドン『タイムズ』紙が『明治時代は封建の世に遠くなく、その美点が近代制度と適度にかみ合った結果、あの勤勉と繁栄、礼節と戦勝があった。今後は日本も下り坂に向かうであろう』と評価した。
韓国や中国には明治大帝に匹敵する指導者に恵まれなかった事が最大の不幸だったのです。

38 :日出づる処の名無し:2007/10/31(水) 07:15:06 ID:KYuobiA+
アジア主義の幻想

日清戦争後の下関談判で李鴻章は『西力東漸の今日こそ、黄色人種が相結合して白色人種に対抗する準備を行うべき秋である。ここで、雨降って地固まるといかなければならない』と言って、少しでも良い講和条件を取ろうとします。
また、森有礼が北京に行ったときに李鴻章は『清國、日本、その他の小国も心を合わせて局面を挽回すれば欧州と対抗できる』と説きますが、
その話し合い後に、李鴻章が朝鮮に送った密書では、『日本人の性情は凶悪不屈、貪欲で狡猾、一歩を得ると一歩を進めてくるから是を扱うのは容易なことではない』と言った上で、日本だけでなく英、独、仏、米とも国交を開いて、日本とロシアを牽制するのが得策だと勧告しています。
また、李鴻章は上奏文で『日本に譲歩しても日本は清國を援けてロシアの侵入を防げないのだから、むしろロシアに日本を抑えさせた方が得策である。それ、日本の強弱は相隔たること百倍』と論じています。
即ち、李鴻章は建て前で日本へ同盟を持ちかけて、本音では日本、清國、韓国、で同盟する気持ちなどさらさらなく、むしろ日本を牽制する事に熱心であったわけです。

現代でも中国や韓国の日本人に対する憎悪や不信感は根強く、仲良くする事など社交辞令以外に口にしてはいけないのです。


39 :日出づる処の名無し:2007/11/01(木) 00:26:05 ID:ua4zq805
皆さん、11月3日は明治節です!

明治大帝の御生誕の日であります。
御祝いを御願い致します。
戦前の四大節の復活を祈念して!

天皇皇后両陛下陛下万歳!

40 :日出づる処の名無し:2007/11/01(木) 00:33:05 ID:wM/isCvg
昨日は元・大正節だったはずだが・・・

41 :夏彦 ◆z2v1usCPsk :2007/11/01(木) 00:46:41 ID:KnLaGOMC
>>31
はい、良き風習は伝えていきたいものですね。

>>39
昔、渡昇さんが、時代背景も考え「せめて文武の日にしろ」と仰っていました。

42 :日出づる処の名無し:2007/11/01(木) 00:56:18 ID:ua4zq805
>>40

大正節は8月31日ですね。

43 :日出づる処の名無し:2007/11/01(木) 01:09:13 ID:ua4zq805
>>41

11月3日は明治大帝の偉業を偲ぶ良き日にしたいですね。

周辺国の悪逆非道ぶりや蛮行を考えると、明治維新が無かったらと思うと、ゾッとしますよ。
左翼は明治維新から第一次世界大戦あたりまではツッコミをいれてこないんです。
なぜか?
正に世界史的にも栄光の歴史であり、ケチのつけようが無いからなんですね。
中国人も韓国人も、この間は、無能な指導者を戴いていたわけであり、振り返りたくない時期なんです。
改めて、明治大帝とその忠臣並びに、我々の御先祖様に感謝致したいと思います。
極東板に今まで明治維新から大東亜戦争までをテーマにしたスレが無かったのが不思議でした。
これからも、我が国の栄光ある歴史を掘り起こしていきます。

44 :日出づる処の名無し:2007/11/01(木) 05:24:31 ID:ua4zq805
日本、清國、韓国 比較

国家主義者朴正煕
『我が五千年の歴史は一言で言って退嬰と沈滞の歴史である。いつの時代に辺境を超えて他を支配した事があろうか…こんな歴史は燃やしてしまえ』と嘆いています。

いかに、我が国や中華の歴史に韓国人が嫉妬しているかがわかります。
明治大帝の偉業と『明治の心』を明治節の復活により偲びたいですね。

45 :日出づる処の名無し:2007/11/01(木) 19:39:35 ID:ua4zq805
日清戦争の発端

韓国が自力による近代化に失敗した結果、清國は1882年漢城に(ソウル)にで起こった軍事暴動事件をきっかけに軍隊を駐留させた。
日本も韓国と済物浦条約を結んで駐兵権をえた。
日清両國は1885年に天津条約に調印して、韓国からの撤退と今後の出兵に際しては相互に通告しあう事を約束した。
実質的には優先権をみとめながらも、伊藤博文全権は日本の地位を清國と平等にまで高めたのである。
折から清國軍は北ベトナムで仏軍と衝突し、清仏戦争によりインドシナを失うという窮境にあったことが伊藤博文を助けた。


46 :日出づる処の名無し:2007/11/01(木) 19:57:49 ID:ua4zq805
日清戦争の発端2

それから九年後、韓国では東学党と称する農民の暴動が勃発し、たちまち全羅道一帯を制した。
韓国王高宗は、自力で平定できずに清國、日本に救いを求めた。(甲午農民戦争)
東学党の背景には清國の実力者袁世凱の手が動いており、この暴動を好機として大軍を送り、韓国わ一挙に清國の支配下に置く事を企図していたといわれる。
清國の策謀だった。
当時、日本の政府が帝国議会では優勢な野党によって困惑させられていたことを、袁世凱は日本の無力化と誤った判断をしたらしい。

最近の民主党優勢を見越して尖閣諸島に船を差し向けた中国の動きにソックリです。
中国人は隙あらば策謀を巡らし攻め込んでくるんです。

47 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

48 :夏彦 ◆z2v1usCPsk :2007/11/02(金) 04:11:31 ID:qkmqtjq2
閲覧しました。

49 :日出づる処の名無し:2007/11/02(金) 17:38:22 ID:3rGJqsih
★長崎清國水兵事件★
1886年8月13日
清國海軍の日本に対する砲艦外交

ドイツから最新鋭巨大戦艦『定遠』『鎮遠』を購入、『東洋一の堅艦』と言われる。
他に大小合わせて50隻の軍艦を購入し、北洋艦隊を形成した。
日本に清帝国の威信を見せつけるために、『親善訪問』を建前に日本訪問を企図した。
手始めに横浜に入港、東京湾に入ってきた最新鋭戦艦に日本人は驚いたのでした。
次に寄港を申した出たのが呉軍港でした。
修理を名目にしていましたが、実際は呉軍港の地形や軍の配備状況などの調査が目的でした。
最新鋭戦艦など六隻で大砲を向けられては、対抗する手段の無い日本側は断る事ができず、やむなく入港を許可します。
当時、呉鎮守府参謀長を務めていた東郷平八郎は驚嘆した。
その艦の大きさではなく、主砲に洗濯物が干してあり、甲板にはタバコがポイ捨てされていたのだ。
軍規の厳しい日本では考えられないことだったからです。
逆に東郷は清帝国海軍の規律の乱れを見抜き、来るべき海戦の勝利を確信したのでした。
その後、北洋艦隊は長崎に入港します。
入港から10後に事件が起きます。
5人の清国水兵が遊女屋で暴動を起こし、駆けつけた日本人警官に斬りつけました。 やむなく水兵を逮捕します。
一旦事態は収束したかに見えたが、二日後に清国水兵450人が警察に逆襲を始め、警官隊と衝突、死者10人重軽傷70人という大乱闘に発展しました。

50 :日出づる処の名無し:2007/11/02(金) 17:49:17 ID:JAyAs+lN
>49
まあ中国は昔も今も変わらないなあ

51 :日出づる処の名無し:2007/11/02(金) 17:49:19 ID:/+YcsqEy
日露戦争の戦勝日を〜と提唱する

数ヶ月後急死、死体から放射性(ry

52 :日出づる処の名無し:2007/11/02(金) 18:02:56 ID:JAyAs+lN
なんつーか戦争を思い起こすのにどの日を選ぶのかというのは
いろんな意見があると思う。
日露戦争の戦勝記念日なんかは何の思い入れも無いだろう。
日本海海戦か旅順陥落の日かどちらかだろうな。
英霊をしのぶのなら旅順陥落の日がふさわしいかもしれない。

53 :日出づる処の名無し:2007/11/02(金) 18:48:27 ID:3rGJqsih
朝鮮独立に尽力した福沢諭吉先生@

脱亜論で知られる福沢諭吉ですが、当初、朝鮮を真面目に近代化し独立させようとしていたのです。
政治家や財界人の中にも福沢諭吉と同じような考えを持つ人が沢山いました。
実際、福沢諭吉は1881年に『アジア改造論』を発表
@欧米列強の東アジア進出に対抗するには日本、清国、朝鮮の提携が必要である。
Aそのためには、日本がアジアの先頭に立って清国、朝鮮の近代化を図る必要がある。という内容で、アジア全体の近代化という理想的な構想を持っていたのです。
福沢諭吉は、朝鮮独立運動の志士、金玉均へ援助にも尽力します。
金玉均は、福沢から直接的な影響を受けて感化され、多くの留学生を慶応義塾へ送り込みます。
福沢は、中国の儒教的封建主義の影響から朝鮮を切り離して近代化に成功した日本の支援の下に、
完全な独立国として西欧列強の侵略の脅威から免れさせることが、ひいては日本の安全にも役立つと確信し、積極的に朝鮮独立の為に尽力したのでした。
そのため、朝鮮の留学生を迎え入れ教育をして送り返す事を考えていました。
朝鮮政府が江華島条約後二回に渡り総勢62名の視察団を派遣、福沢邸を訪ねて教えを受ける。
1882年壬午事変後の謝罪のため、朝鮮修信使として朴永孝と金玉均が派遣され丁重に迎えられた。
金玉均『時に日本政府、まさに朝鮮に注目し、見て独立国となし、公使を待つことすこぶる慇懃なり、予その実心実事を察し、よって朴君と議し、つひに意を傾けて日本に依頼す』と甲申日記に書いています。


54 :日出づる処の名無し:2007/11/02(金) 19:20:48 ID:3rGJqsih
朝鮮独立に尽力した福沢諭吉先生A

金が無かった朝鮮修信使に対して、井上馨外務卿は横浜正金銀行から当時としては大金である17万円を貸与させ、日本へ支払う賠償金の一部にあてるように勧めるとともに、修信使一行の帰国の費用と朝鮮教育事業にあてるよう諭した。
その金をどのように教育事業に役立ててよいかわからなかった朝鮮修信使一行は、福沢にアドバイスを求めた。
福沢は@青年を日本へ留学させること
A京城(ソウル)で新聞を発行するように勧めた
その後、留学生は慶応義塾と陸軍士官学校へ入学した。
新聞については、印刷機や漢字活字なども準備してやり職工監督なども雇い入れてやった。
福沢の門下生、井上角五郎によって1883年、朝鮮初の新聞『漢城旬報』が創刊された。
井上角五郎は、甲申事変の福沢の関与について『金、朴、の一挙に就いては、先生は、ただ、に其筋書きの作者に止まらず、自ら進んで役者を教え、又、道具だてその他の万端をさしずせられた事実がある』『福沢諭吉伝』
福沢は甲申事変(朝鮮近代化を目指すクーデター)を起こし、清帝国の袁世凱の介入で失敗した朴や金を数週間福沢邸にかくまっている。
こうした日清間の緊張が高まった1885年3月16日に脱亜論が発表されたのです。
脱亜論とは、朝鮮近代化に期待して尽力した福沢が、自ら近代化を拒む朝鮮人や清国人に対する深い失望感から生まれたのでした。
まさに、朝鮮人や清国人に愛想が尽きて三行半を突きつけたのが脱亜論だったのです。


55 :日出づる処の名無し:2007/11/02(金) 20:09:00 ID:3rGJqsih
壬午事件の勃発

1882年
朝鮮にも日本の明治維新のありかたを参考にして西欧的な近代化を急ぐべしという開明派(日本派の明成皇后ビンヒ一族)と、清帝国の冊封体制を守ろうとする守旧派(大院君、国王の親)が激しく権力争いをしていた。 実権は王妃の日本派にあった。
改革派は、日本から軍事顧問を招き新しい軍隊を創設し新しい軍隊を優遇していました。
それを妬んだ従来からある旧軍が暴動を起こしたのを発端として、伝統的な中華秩序を守り、封建的な文化や伝統を死守しようとする国王の父、大院君がクーデターを起こした。
多くの日本人が殺害され、一旦は守旧派が改革派を追い出しました。
しかし、逃げ延びた王妃が清帝国へ密使を送り助けを求めた為、清帝国の袁世凱が介入し、国王の父、大院君は拉致され、天津に幽閉され、再び実権が王妃に戻されたのでした。
王妃は、近代化の親日政策を破棄し、旧来の親清政策へと大きく転換するのでした。


56 :日出づる処の名無し:2007/11/02(金) 20:27:23 ID:3rGJqsih
甲申事件の勃発@

1884年
守旧派(親清派)が改革派(親日派)から権力を奪うのに失敗した壬午事件から二年後、
今度は、愛国心に燃えた日本留学組や福沢諭吉の息のかかった改革派(日本派)が守旧派(親清派)から権力を奪うために起こしたのが甲申事件です。


57 :日出づる処の名無し:2007/11/02(金) 21:02:19 ID:3rGJqsih
甲申事件の勃発A

金玉均や朴永孝らの改革派はソウル郵便局の落成式を狙って騒動を起こした。
国王高宗から命を受ける形をとり、日本公使と日本軍に護衛を依頼させました。
守旧派(親清派)の王妃一族の重臣を殺害し、王妃一族を一掃しクーデターは成功した。

国王を頂点とする近代立憲君主制国家の樹立を宣言した。
新内閣は国王の稟議を経て。
@国王は今後、殿下ではなく皇帝陛下として独立国の君主として振る舞う事
A清帝国に対して朝貢の礼を廃止すること
B内閣を廃し、税制を改めカン官を廃止
C宮内省を新設し、王宮の行事に透明性を持たせること
14項目の改革案を発表し、旧弊の一新の改革を実現させようとした。


58 :日出づる処の名無し:2007/11/02(金) 21:25:17 ID:3rGJqsih
甲申事件の勃発B

国王高宗も王妃一族に実権を握られ、何一つ思い通りにならなかった為、金玉均らの改革派の近代化政策に快諾し新政府の樹立ができたのだが。
守旧派(親清派)の王妃は巻き返しを図る。
王妃が清帝国の袁世凱に、またもや助けを求めたのである。
袁世凱は2000名の清帝国軍を率いて王宮を襲撃した。
守っていた韓国兵は、逃げ出したり清帝国軍に寝返ってしまい、守っていた日本軍140名は窮地にたたされた。
清帝国軍は、金玉均達が日本公使館に逃げ込むと、治外法権の公使館まで襲撃した。
日本公使館は焼き討ちされ、日本人40人が惨殺されました。その中には日本の婦人も含まれていました。
日本軍や公使、改革派の金玉均や朴永孝ら改革派は日本へ逃れました。
朝鮮に残った改革派やその家族は三親等まで虐殺されました。
改革派の計画が粗略であり、韓国兵の寝返りや改革派の中に密告者がいた事などが3日天下に終わった原因でした。


59 :日出づる処の名無し:2007/11/02(金) 21:34:04 ID:3rGJqsih
甲申事件の勃発C

日本人が気がついたのは、朝鮮の独立を支援しようと思えば、必ず支那との対決は避けられないという事実でした。
朝鮮内部の改革派を支援しても、清と朝鮮王妃一族が改革派の動きを封じ込めてしまうのです。
朝鮮の近代化は清帝国と朝鮮人自らが放棄したのでした。


60 :日出づる処の名無し:2007/11/02(金) 22:02:49 ID:3rGJqsih
甲申事件の勃発D

改革派のクーデターが失敗後、金玉均らは日本に逃れた。
朝鮮国内に残った者は、それぞれ虐殺されました。
『朝鮮では逆賊は三族まで滅ぼす』という掟があり、それぞれの遺族は殺害されたり、自殺したり奴隷として売られた。
福沢諭吉は危険をおかして金玉均らを自邸にかくまい、安全の為、金玉均には岩田周作、朴永孝には山崎水春というように日本名を名乗らせます。
身柄引き渡しを朝鮮政府が要求しますが、日本は拒否します。
日本政府は金玉均を手厚く保護し、月給50円を支給します。
そんな中、韓国の国王や袁世凱は、日本に刺客を放ち金玉均らの暗殺を計ります。 袁世凱は二万両の懸賞金をかけるしまつ。
しかし、日本人の同志は命懸けで金玉均を助け、日本国内を転々とさせて、凶刃を免れました。
1890年に金玉均が東京に戻った時に、清帝国の李経方から清帝国を訪ねるよう招請状が送られてきました。
金玉均は李経方が清の駐日公使であった時から親交があり、会談をすれば新しい局面が打開できるのではと大いに喜んでしまった。
因みに、李経方は李鴻章の娘を妻としており李鴻章とパイプがあった。

61 :日出づる処の名無し:2007/11/02(金) 22:26:36 ID:3rGJqsih
甲申事件の勃発E

李鴻章
直隷総督北洋大臣として朝鮮や日本を担当していた清帝国の実力者
金玉均は1894年日本汽船の西京丸で上海に到着、アメリカ租界(中国国内のアメリカが借りた土地)にあった日本旅館に投宿した。
そこで、韓国の国王の放った刺客の洪鐘宇に暗殺されてしまった。
43才であった。
実は、韓国国王と李鴻章の仕組んだ罠であったのです。
金玉均の遺体は清帝国軍艦で朝鮮に送られ、八つ裂きにされバラバラにされた肉塊は、漢城を振り出しに朝鮮八道を引き回され街路に曝された。
日本では、いかなる罪人でも死者は仏様であり、死者に鞭を打つことはないし、手厚く葬る。
しかし、中国と朝鮮では反逆者は、生きたまま切り刻まれ曝される事になっており、死者となっても辱めを受けるのです。
江沢民前主席が小泉前首相の靖国神社参拝を『絶対に許さない』と宣言したのも、中国文化が死者を辱める文化であり、敵の死体を八つ裂きにして曝すことが、権力者の権威を示す事になるからです。
やはり、中国人は永遠に中国人であり、朝鮮人は永遠に朝鮮人なのです。


62 :日出づる処の名無し:2007/11/02(金) 22:50:45 ID:3rGJqsih
甲申事件の勃発F

金玉均の妻は奴隷として売られました。金玉均が李鴻章と韓国国王の刺客により暗殺され、八つ裂きの刑に処された事が日本に伝わると、日本の人々は激昂し『ビン妃(韓国王妃)撃つべし』の勢いに拍車がかかった。
韓国の政治や軍事を牛耳る王妃が元凶であるとの意見が沸き起こったのでした。
5月20日には浅草本願寺で金玉均の英魂を鎮めるために盛大な葬儀が行われた。
甲申事件は李氏朝鮮が西欧や日本のように近代化し、立憲君主制を敷く大きなチャンスだったが、近代国家への脱皮する可能性を決定的に不意にしてしまったのです。
この事件は、中国と朝鮮の文化は近く、日本は、この二カ国とは全く異なる文化やメンタリティーを持っていることが理解できました。
福沢諭吉が私財を投じて尽力した末に、朝鮮人と中国人を見放したのも良く理解できるのでした。


63 :日出づる処の名無し:2007/11/02(金) 23:36:38 ID:3rGJqsih
甲申事件の勃発G

日本政府は、日韓併合後に金玉均ら改革派の生き残っていた遺族に、金一万円を下賜し、その近代化への偉業を讃えたのでした。

策謀をめぐらして刺客を送り、金玉均を暗殺して死体を八つ裂きにし、三親等まで滅ぼす中国文化と朝鮮文化。
朝鮮人とはいえ、金玉均を手厚く供養し、遺族に見舞金まで下賜する日本文化とは全く異なる。

実権を握る韓国王妃と韓国王室は、中長期的な視点がなく、清帝国に尻尾を振ったかと思えば日本に尻尾をふり、時にロシア帝国が優勢と判断すれば、ロシアに尻尾ふるしまつ。

邦人が朝鮮王朝の猫の目ような変節ぶりに振り回され、犠牲者となった事は、怒りさえ覚えます。
朝鮮王朝内部の権力闘争は熾烈を極め、指導者の無能ぶりは頂点に達していたといえましょう。


64 :日出づる処の名無し:2007/11/02(金) 23:53:35 ID:3rGJqsih
>>48
夏彦様

何時も御世話になっております。
日清戦争を扱うスレは2ちゃんに2つしかなく、日本人の関心が極端に薄い事がわかりました。
日露戦争についても同じで、5つ程度です。
何より、明治維新から大東亜戦争までをテーマにしているスレはここだけなんです。
実際、この時代を勉強すると非常に為になりますし、未来の日本が進むべき道が見えてくると思うのです。
よきお付きあいをよろしくお願い致します。

65 :日出づる処の名無し:2007/11/02(金) 23:56:37 ID:3rGJqsih
>>50
其の通りですね。

漢民族は永遠に漢民族であり、朝鮮民族も永遠に朝鮮民族なんだと思います。


66 :日出づる処の名無し:2007/11/03(土) 00:04:08 ID:7KIHQgLy
皆さん、本日11月3日は明治節です!
明治維新なかりせば、日本はロシア帝国の版図に含まれていたでしょう。
明治大帝なくして現在の日本はありませんでした。
御祝いを御願い致します。
戦前の四大節の復活を祈念して!

天皇皇后両陛下陛下万歳!


67 :夏彦 ◆z2v1usCPsk :2007/11/03(土) 02:10:44 ID:yZvSKK3T
>>64
「夏彦様」なんて、そんないいものじゃありませんよw

こちらこそ、宜しくお願いします。


>>58で出ていましたが、日本公使館を襲撃したのは、正規軍でしょうか?

68 :日出づる処の名無し:2007/11/03(土) 06:30:11 ID:7KIHQgLy
>>67
直隷北洋大臣
李鴻章の私兵と言われています。
北洋は河北、山東、奉天の皇帝に直接隷属していた場所であり、清朝としても権威ある場所。
そこの精鋭部隊といった位置付けになります。
とにかく、10倍以上の清帝国軍2000と、数の上では清帝国軍を上回っていた韓国軍3000の清帝国軍への寝返り、衝突の拡大を望まない日本政府の方針により、改革派の金玉均らと日本軍140名は、日本人40名の犠牲者を出しながらも、撤退を余儀なくされたのでした。


69 :日出づる処の名無し:2007/11/03(土) 07:06:36 ID:7KIHQgLy
大阪事件の勃発

1885年

壬午事件、甲申事件や長崎清国水兵事件などで日本人が朝鮮人や清国人から惨殺される事件が起きた事により、日本国内の世論は激昂して清帝国との開戦を主張するようになった。
旧自由党員、大井憲太郎らは、再び金玉均ら朝鮮改革派を支援し朝鮮独立を勝ち取ろうとして画策したが、朝鮮渡航前に計画が発覚し逮捕される事件が起きた。
まさに、日清戦争開戦前夜、世論は清帝国撃つべしの世論が沸き起こっていたのでした。


70 :日出づる処の名無し:2007/11/03(土) 07:19:38 ID:+a15Jebr
893 VS ブルースリーに似た空手家 対決映像
http://video.nifty.com/cs/catalog/video_metadata/catalog_071102038922_1.htm

71 :日出づる処の名無し:2007/11/03(土) 07:43:11 ID:7KIHQgLy
何故、日本は清帝国の日本人惨殺などの横暴を許していたのか!
この時期、明治15年の福沢諭吉は『支那の海軍は今でも日本の三倍近いが、今後益々増強して、琉球回復などといって戦争をしかけてきたらどうなるだろう。
最近の戦争は勇気でなしに武器で決まる。もし日本が負ければ、清帝国兵は日本に上陸してどんな乱暴をするかわからない』と書いています。
明治19年に長崎清国水兵事件で清国兵が乱暴して日本警察と衝突事件を起こしても、井上馨外務卿は事を穏便に済ませます。
いずれも争っても勝見込みがなく、清帝国海軍の圧倒的優勢は誰からみても明らかだったからです。
清帝国も、北京条約以降は立ち直って、西太后の下に『同治の中興』といわれる内政の安定をみせ、富力に任せてドイツから最新鋭の巨大戦艦『定遠』『鎮遠』などを買いあさり、海軍力を増強していたのでした。


72 :日出づる処の名無し:2007/11/03(土) 08:07:32 ID:7KIHQgLy
★清帝国側の日清戦争前の日本評価はどうだったのか。

琉球併合に際して駐日公使、如何章の意見具申『日本は国小さく貧しく…国債は二億を越え、旧士族の恨みもある。
…清国に伝えられる事情の多くは誇張である』として、今、清帝国がつよく出れば引っ込むといっています。
朝鮮の壬午事件のあとに、登承修の日本威服説では『日本は持っている金は使い果たし国債に頼り、流通は紙幣に頼っているが、
有事にはそんなものは紙屑になる。英独米への借金も繰り延べしようとしている。こんな貧乏で国家といえるだろうか』と言い清帝国の富強と較べて論じています。
他方、朝鮮に対しては、李鴻章は『日本は近代化と言っているが、
そのために国庫が窮乏し、外国に事を構えざるを得ない状況にある』と言って、日本が朝鮮を狙っていると警告します。
実は、清帝国の富強、日本の貧乏は日清戦争までは言うを待たない事実だったのです。


73 :日出づる処の名無し:2007/11/03(土) 08:41:44 ID:7KIHQgLy
★何故、日本が琉球併合と台湾出兵に成功したのか?

台湾出兵時の清帝国、総理衛門の文章『本件は日本が勝手な事をしたのであって、わが海軍力にたのむに足るものがあれば議論の要もないのに残念である。
わが自強の計は一日もゆるがせにすべからず』とあり。
当時の海軍力が日本に劣っていたからガマンせざるをえなかったと言っています。
日本が沖縄県を設置すると、李鴻章は『外侮が重ねて来たって窮りない。正に奮起せざるべからざる秋である。
まず急いで軍艦四隻を買わなければならない。
数年後に海軍が整備されれば、実際に海を超えて日本を攻めなくても、その用意さえあれば、
日本の傲慢さも、このために少しは衰え、各国が清帝国を軽蔑することも漸次消滅するであろう』と上奏します。
台湾出兵や琉球併合時は日本の海軍力が勝っていたからできた事だったのです。
しかし、清帝国が李鴻章の献言を容れて軍艦をガンガン買いあさると、今度は形勢が逆転してしまい、清国政府で東制論(日本への侵略論)が高まり
長崎清国水兵事件が起こるなど、日本の安全保障が危うくなったのでした。


74 :日出づる処の名無し:2007/11/03(土) 09:22:49 ID:7KIHQgLy
★清帝国側の明治8年頃の日清両国の戦力分析や情報収集能力

明治政府は鉄鋼艦『扶桑』と鉄骨木皮艦『金剛』『比叡』を英国に発注します。
如何章は『あれは鉄甲ではなく鉄皮らしい』と言い、李鴻章は『聞くところでは五、六の鉄皮でなく、四寸の鉄甲だそうだと』
日本の軍事機密であるはずの軍艦の装甲の厚さを推測しています。
登承修は上奏し『開戦を明言する必要はないが、軍艦を集めて示威をして、その上で琉球を滅ぼした罪を責めれば、
日本人も弱みがあるので戦争はしまいし、
琉球事件の趨勢を変えられるだけでなく欧州諸国も清帝国の軍備充実を知りフランス人の広西蚕食も解決するだろう』と論じ、
張という臣官も『今すぐ日本を征伐せよとは言わないが、軍艦を作り山東と台湾を固めたあとで、琉球事件を問責し、軍艦で示威をして国交を断絶すれば、日本は驚いて防備を増強して国費を消耗してしまう。
わが方は守りは万全たがら日本はどうすることもできない。そこで日本が弱ったところで攻撃すれば一戦で勝負が決まるだろう。
これに反して優柔不断で座視して軍備も強化しないと、数年間は平穏無事かもしれないが、やがて、さいじたる日本も遂に清帝国の巨患となるだろう』と上奏しています。
清帝国政府は、かなり優れた情報分析力を持っていた事が伺えます。

75 :日出づる処の名無し:2007/11/03(土) 10:57:28 ID:7KIHQgLy
★日清の勝敗を分けた明治大帝の質素倹約

李鴻章は、日清両国のを分析検討し、東征(日本への侵略)を進言する重臣たちの考えとそう変わらないが、今は其の時期ではなく、
まだ準備がないのにそういう事を言うと日本も外国に頼り対抗策を講じるので、表向きは静かにして海軍力を強化するのが先決だという判断を下します。
しかし、西太后は建艦費を贅沢な庭園を作る費用に流用してしまい百年の悔いを残す事になります。
日本は清帝国政府李鴻章の指摘の通り、窮乏財政で財政難、財源の捻出しようが無い有り様。
明治19年に建艦公債を発行して『松島』『厳島』『橋立』の三景艦の建造を急ぎますがそれでも費用が足りません。
明治大帝は自ら質素倹約を実行し宮廷費を下賜されました。
国民も明治大帝の行為に感動し、建艦寄付運動が盛り上がり、どうにか建艦を続けます。
ですが、民権意識の高揚していた議会が建艦費を全額削除してしまいます。
これを憂えた明治大帝は、六年間宮廷費を節約して毎年30万円を下賜され、
官吏は特別の事情ある者を除き六年間月給の十分の1をを建艦費に返納するということとなり、一転して議会も大建艦計画を満場一致で採択します。
日本は明治大帝自ら質素倹約につとめて建艦費を捻出、国民国家を上げて一致団結し建艦競争に打ち勝とうとしますが、
清帝国はトップの西太后が贅沢三昧にふけり、官吏は私服を肥やす有り様。
日本の勝利が見えてきたのでありました。

76 :日出づる処の名無し:2007/11/03(土) 20:13:59 ID:7KIHQgLy
★腐敗極まる朝鮮王朝

韓国王高宗の王妃一族が専横を極め、李朝の政道は乱れに乱れていた。
王妃が政治に干渉し綱紀は乱れ、王妃一族が政府の要職を占めて、正義の士を斥け、売官、収賄、暗殺などの悪弊の限りを尽くしていた。
宮中は百鬼夜行の巣窟の観を呈していた。
しかも悪弊は朝鮮半島全土に波及し、宮中王族権官を始め、貪官汚吏は豪奢に浸り、長夜の宴を張って歓楽をほしいままにしていました。
ために民力疲弊し、一般の人々は塗炭の苦しみに喘ぎ、庶民の怨嵯の念国中に募るありまさでありました。
それに比べて、日本皇室は、明治大帝自ら質素倹約につとめて近代化を推進し、昭憲皇后は慈悲の心厚く国民の救済に当たられました。
朝鮮は没落し、日本は大帝国になったのは言うまでもない事実であります。


77 :>52:2007/11/03(土) 21:12:22 ID:FU0OLFwp
:日朝に軍需利権が無ければ拉致事件は起きなかった!:2007-9-22
インチキスパイ衛星5022億円、維持運営費年間150億円!
この詐欺兵器たった1機だけで8万人の若者の高校・大学の全学費を無料にすることが出来る。
イージス艦「あたご」1475億円、維持費年間40億円!
このイージス艦というインチキ戦艦たった1隻で、借金360億円の夕張市が3つも4つも丸ごと救える。
こういうインチキ兵器を6隻も買わされた貧乏国民が世界中で物笑いの種になっていることを日本のマスコミは一切報じない。
国家間憎悪を煽り、民族間差別を散布し、どうでもいい痴呆番組やどうでもいいスポーツ番組を朝から夜中まで垂れ流すような愚民教育が貫徹しているからだ。
http://esashib.hp.infoseek.co.jp/poor01.htm
いま、年金の受給漏れが950億円だなどと自民党と民主党の八百長ケンカを
これまた八百長マスコミがさも大事のように騒いでいる。たった950億円?
平成日本軍部のインチキ戦艦イージス一隻にも満たない額である。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-10-31/03_01.html
http://members.at.infoseek.co.jp/YaYa/system.htm
F22戦闘機の価格は1機約237億円(2億ドル)以上。
この基地外詐欺兵器を100機購入すると晋三は抜かしている。
全国で60年も70年も働いて来た多くの老人が順番待ちの老人介護施設の建設費が1棟たった約12億円。
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/yousukou.htm
北朝鮮の主婦や女子高生が横田めぐみを拉致した訳ではない。
拉致などという犯罪は日本であろうが北朝鮮であろうが、軍部(又は同調者)以外にはいない。


78 :日出づる処の名無し:2007/11/03(土) 21:13:56 ID:7KIHQgLy
★中国三大悪女、西太后に助けられた日本

1851年16才の時に威豊帝の側室に選ばれ後宮に入ります。
1856年男子を生み(後の同治帝)皇后に次ぐ地位を得ます。
威豊帝が亡くなると、同治帝が即位し、背後から皇帝を操り1908年74才で亡くなるまで中国全土を支配し国政をほしいままにしました。
映画『西太后』を思い出して下さい。
威豊帝の寵妃であった女性の手足を切断し壷に入れて生きたまま観察し喜ぶシーンは残酷そのものです。
中国人はそのような人々であり文化なのです。
清帝国は西太后により滅亡せざるを得なかったのです。
他にも、ライバルの東太后や、光緒帝、を暗殺したとか、珍妃を井戸に投げこますたなど、悪逆非道の限りを尽くします。
日本との建艦競争に使う予定の資金を贅沢三昧に使い果たし、庭園整備に当てしまうなど清帝国を自ら滅ぼした罪は現代中国でも糾弾されています。
西太后は遺言を残しています。
『以後、二度と国政に婦人を関与してはならぬ』
皮肉としかいいようがないですね。

中国は西太后、朝鮮は王妃一族が政治をほしいままにしたために滅亡してしまいました。
日本は名君、明治大帝の尽力により、世界の覇者に名乗りを上げるのでした!

79 :日出づる処の名無し:2007/11/03(土) 22:16:58 ID:7KIHQgLy
★東学党の乱が勃発@
1894年
朝鮮王朝の腐敗や両班(朝鮮貴族)の虐政に反対し貪官汚吏の追放を目的に農民達が一斉に蜂起したのです!
これを機に王妃一族の打倒を計る大院君(王の父)
東アジアに影響を増すロシアを恐れて東学党に政権樹立をそそのかす清帝国
清帝国の策謀を警戒する日本
色々な勢力が入り乱れて朝鮮の主導権争いを演じた内乱でした。
朝鮮の米価は非常に高騰しており、朝鮮地主と日本の商人は高収益をあげていました。
必然的に高い値段で米を買わなければならない庶民の不満は高まります。
朝鮮地主は、庶民の不満をそらせるために全ての責任を日本人の仕業であると反日感情を焚き付けます。
加えて既存の支配階級である両班は儒教的な価値観に拘泥して近代化を恐れ、高まる朝鮮支配階級に対する不満を反日へとすり替えたのです。(現代とソックリです)
東学党は指揮が高く韓国軍は戦意喪失し、宮廷内は動揺し外国に援軍を要請します。
六月八日、清帝国は袁世凱1500人の兵力を牙山に上陸させます。
六月九日、日本は、壬午、甲申事件で、公使館が焼き討ちされ、日本人が多数殺害されていましたから、
公使館と日本人の保護を目的に駐韓公使大鳥圭介が軍艦八重山に乗って陸戦隊300を伴い漢城(ソウル)に帰任、7000の混成団も続いた。


80 :日出づる処の名無し:2007/11/03(土) 23:01:20 ID:7KIHQgLy
東学党の乱勃発A

日清両国の衝突を恐れた朝鮮政府は、東学党と妥協するように方針転換した。
韓国王高宗は、首謀者である全奉準と交渉し改革をすすめる事を約束した。(全州和約)
@不正腐敗官吏や横暴な富豪両班等を処罰すること
A理由のハッキリしない税金をかけないこと
B土地は均等に分配耕作ができるようにすること
C官吏の採用には、一切門閥を打破し公平に人材を登用すること
いかに朝鮮が腐敗しきっていたかがわかります。
しかし、約束は守らないのが朝鮮のルール、韓国王朝は和約を裏切り、農民軍を攻撃し全奉準を捕らえて投獄した。
腐敗し国防の気概を欠き、武を軽んじ、他国に安全を委ねた朝鮮自らが招いた悲劇でした。



81 :夏彦 ◆z2v1usCPsk :2007/11/04(日) 06:10:49 ID:naKVEfOA
>>68
ご解答、ありがとうございます。


何処の国でも、行きすぎた官僚主義は、国の衰退を招きますね。

82 :日出づる処の名無し:2007/11/04(日) 13:54:04 ID:anXHCOpv
>>81
どういたしまして。
清帝国と朝鮮の実権を握っていた悪名高き西太后と、朝鮮王妃一族。
清朝と朝鮮王朝は、近代化を進めようとする愛国心のある正義の士に対して暗殺や刺客送ったり、捕らえれば八つ裂きにしたり、三親等まで皆殺しにしたり、重税をかけては、贅沢三昧で国政をほしいままにしていました。
質素倹約で国民に対して慈悲の心で接した日本の皇室との違いに愕然としています。
明治大帝に感謝いたしたいと思います。

83 :日出づる処の名無し:2007/11/04(日) 20:11:49 ID:anXHCOpv
★清帝国との決戦を前に誕生した連合艦隊@

1893年の5月に陸軍参謀本部と同格の軍令部の誕生によって、日本海軍は文字通り一本立ちした。
その日本海軍の真価が問われる事態が目前に迫っていた。 清帝国との戦争である。
徳川幕府が倒れ、明治新政府になったばかりの日本に清帝国に対抗できる軍備はない。
仮に清帝国相手に戦うとすれば、日本は日本海と黄海の制海権を手にしなければならない。
陸戦部隊の輸送もままならないからだ。 それには海軍力が決め手になる。
一方、当時清帝国海軍は、北洋、南洋、福建、広東の四水師(艦隊)で構成されており、黄海から渤海湾の警備についていたのは北洋水師(水師提督・丁汝昌)で、清帝国海軍の精鋭艦で編成され東洋一を誇っていた。


84 :日出づる処の名無し:2007/11/04(日) 20:48:37 ID:anXHCOpv
★清帝国との決戦を前に誕生した連合艦隊A

明治21年(1888)に編成された北洋艦隊は、戦艦、巡洋艦、魚雷艇など大小50余隻、約5万トンに及ぶ戦力を保持していた。
その中心になっていた戦艦『定遠』『鎮遠』で、当時の世界一流戦艦でした。
この二艦は明治15年にドイツで進水した甲鉄艦で、排水量7335トン、30センチ主砲四門、15センチ速射砲四門、速力14・5ノットを誇った。
明治中期の日本海軍には、この『定遠』『鎮遠』はもちろんのこと、北洋艦隊に対抗する海上戦力はなかった。
そこで日本政府は明治23年度以降、陸軍軍備の拡充と平行して海軍の大拡張に乗り出した。
既に日本は1500トン級の巡洋艦の国内建造は行っていたが、本格的な一等巡洋艦の建造経験は無かった。
そこで、のちの三景艦といわれる『橋立』『松島』『厳島』の三艦の建造に踏み切った。
設計は日本が行い『松島』『厳島』の建造はフランスの造船会社に発注し、『橋立』は横須賀造船所で国産することにした。
三景艦の要目は同じで、排水量は4210トンと『定遠』『鎮遠』には遠く及ばず、兵装も主砲の32センチ砲は一門で、これも及ばなかった。
しかし、速力は16・7ノットと上回り、副砲の12センチ速射砲も12門(橋立は10門)と勝っていた。
この速力と速射砲の優劣が、のちの海戦で勝敗を決めるのである。
この三景艦に続いて、日本は同じクラスの巡洋艦『吉野』『浪速』『高千穂』をイギリスに発注して竣工させ、
ここに軍艦31隻、合計排水量5万9500トン、これに水雷艇24隻を加えた日本初の本格的艦隊を作り上げたのである。
その戦力は、清帝国の北洋水師と互角に戦えるものだった。
連合艦隊の誕生である。

85 :日出づる処の名無し:2007/11/04(日) 21:31:05 ID:anXHCOpv
日清戦争勃発@

豊島沖海戦
明治27年春、朝鮮の覇権を競ってきた日清両国は、遂に軍隊を派遣して睨み合いの状態になっていた。
きっかけは甲午農民戦争(東学党の乱)ともいわれる反政府暴動が起き、日清両国は『朝鮮の内乱鎮定』を名目に派兵し、そのまま駐留を続けていたのである。
そして6月22日、大日本帝国政府は御前会議で実質的な対清帝国開戦を決定
7月19日、朝鮮政府に対して『清帝国軍が永く朝鮮国内に駐留するのは朝鮮の独立を侵害するものなれば、速やかにこれを国外に駆逐すべし』と要求、7月22日までに回答せよと迫った。
同時にこの日、海軍は常備艦隊(司令長官伊東中将)と警備艦隊を改称した西海艦隊(司令長官相浦少将)を持って、日本海軍最初の連合艦隊を編成し、司令長官には常備艦隊の伊東中将を任命した。
こうして臨戦態勢を整えた日本政府は、朝鮮政府から清帝国軍隊の撤退の依頼を受けた。

86 :日出づる処の名無し:2007/11/04(日) 21:59:16 ID:anXHCOpv
日清戦争勃発A

豊島沖海戦
7月25日、清帝国軍攻撃の大義名分を手にした日本軍は直ちにに行動を起こした。戦争である。
既にこのとき、伊東中将率いる連合艦隊の第一遊撃隊は佐世保を出港して(22日)朝鮮の仁川沖に向かっていた。
日本の開戦準備を知った清帝国の李鴻章(北洋直隷総督)も、増援軍を続々朝鮮に送りはじめた。
その第一陣は7月24日に上陸し、イギリス船籍の運送船に乗った第二陣の1000余名は、23日にタークーを出港、砲艦『操江』に護衛されて追走していた。
7月25日の早朝、常備艦隊司令官の坪井少将に率いられた第一遊撃隊の『吉野』『浪速』『秋津州』の巡洋艦隊は、平壌北方の牙山な布陣する清国軍を偵察するため、朝鮮半島西岸の豊島沖を航行していた。
そして、牙山方面から航進してくる二隻の艦影を発見した。第二陣の運送船を護衛するため出港してきた北洋艦隊の巡洋艦『済遠』『広乙』だった。

87 :日出づる処の名無し:2007/11/04(日) 22:34:17 ID:anXHCOpv
日清戦争勃発B

豊島沖海戦
日清両国艦隊は戦闘態勢に入り、距離3000メートルに詰まるや一斉に砲門を開いた。
午前7時12分だった。
砲戦は一時間二十分にわたったが、スピードて砲数で勝る日本艦隊は終始清帝国艦隊を圧倒し、『済遠』は損傷が酷くなり直隷湾に向かって逃れ『広乙』は朝鮮半島の西岸に乗り上げ座礁した。
イギリス船籍の運送船と『操江』が姿を見せたのは、この海戦の最中であった。
『浪速』艦長の東郷平八郎大佐はイギリス船籍の運送船に突進して停船を命じ、更に空砲二発を放って投錨を命じた。
東郷は副官の人見大尉を運送船にやり、イギリス人船長に降伏を勧告しました。
船長は承諾したが、清国の指揮官は投錨も降伏も拒否してきた。 『この船はイギリスの船であるから日本軍の命令に従う必要はない』というのだ。
東郷平八郎大佐は『乗組員は直ちに船をされ』という信号旗を掲げ、乗組員に砲撃を命じた。
砲弾は運送船に命中2000トンの運送船はたちまち白煙と炎を上げて沈没した。
東郷平八郎大佐が運送船とやり取りをしている間『秋津州』は『操江』に向かっていた。
すると『操江』は早々と降伏旗を掲げ、戦意のない事を示した。『秋津州』は一発の砲弾も使わずに『操江』を捕獲したのでした。
この戦いが、日本の連合艦隊にとって初勝利となった。
戦闘海域の名前から、日本はこの海戦を『豊島沖の海戦』と名付けた。

88 :日出づる処の名無し:2007/11/04(日) 23:11:27 ID:anXHCOpv
日清戦争勃発C

壊滅した清帝国北洋艦隊
明治27日7月31日日清両国は国交を断絶して、正式に戦争状態に突入した。
山縣有朋大将を軍司令官とする陸軍の第一軍は続々と朝鮮に上陸し、平壌を目指して進軍、9月15日の未明を期して平壌総攻撃に入った。
この陸軍の平壌総攻撃に呼応して、伊東中将の連合艦隊も清帝国艦隊撃滅を期して黄海に出撃していた。
9月17日の午前11時30分、旗艦『松島』を先頭にする連合艦隊は、大狐山沖で丁汝昌提督の北洋艦隊を発見した。
この時の連合艦隊の陣容は次のようだった。
本隊、松島、厳島、橋立、千代田、扶桑、比叡。
第一遊撃隊、吉野、秋津州、高千穂、浪速
補助艦、赤城、西京丸(武装商船)
このときの北洋艦隊は『定遠』『鎮遠』を中心にした主力14隻に水雷艇6隻が随行し、日清の戦力は互角だった。
距離3000メートルに縮まり、両国艦隊は砲撃を開始した。

89 :日出づる処の名無し:2007/11/04(日) 23:29:43 ID:anXHCOpv
日清戦争勃発D

壊滅した清帝国北洋艦隊
時に午後零時55分だった。
いずれの艦も速力で清国艦を上回る連合艦隊は、坪井少将の第一遊撃隊が砲撃しながら単縦陣で敵の側面を走り抜け、反転して本隊に合流する戦法を取った。
その間は速射砲の一斉攻撃で敵の中小艦を狙い撃ちし、『定遠』『鎮遠』を孤立させる作戦に出た。
常に、単縦陣で走り回る日本艦隊の作戦は図に当たった。
北洋艦隊巡洋艦『致遠』『超勇』『揚威』『経遠』『広甲』を次々と撃沈し、戦艦『定遠』海防艦『平遠』は炎に包まれて戦線から脱落していった。
海戦は四時間半も続いたが夕暮れとともに北洋艦隊の残存艦は旅順と威海衛を目指して遁走していった。
連合艦隊の被害は軽微で、沈没は一隻も無く、死傷者240名を出しただけだった。
以後の清国艦隊は、威海衛と旅順に逼塞したまま出撃せず、翌年陸軍が威海衛総攻撃を敢行するや、北洋水師提督丁汝昌は降伏し、自らは服毒自殺を遂げて艦隊は壊滅した。

90 :日出づる処の名無し:2007/11/04(日) 23:54:28 ID:anXHCOpv
日清戦争の勃発E

☆大日本帝国の連戦連勝☆
陸軍も成歓と牙山で清帝国軍に大勝。
山縣有朋大将率いる第一軍12000は9月15日に平壌に集結していた15000を攻撃し粉砕した。
制海権を背景に、大山巌陸軍大将に第二軍を編成し、1898年10月24日、遼東半島の花園口に上陸、
11月までに金州、大連及び旅順を攻略した。
10月25日には第一軍が朝鮮から鴨緑江を越えて遼東半島の北部、九連城、鳳凰城、大狐山を制圧し、翌年はじめに、牛荘、営口、田荘台を攻略した。
この間、第二軍は山東半島栄成付近に上陸し威海衛軍港の陸岸を完全に占領した。
正に破竹の勢いの大日本帝国陸軍は、強大な清帝国に連戦連勝したのでありました。
大日本帝国海軍も豊島沖海戦と黄海海戦で連勝し北洋艦隊を壊滅させた。
世界を震撼させる栄光の連合艦隊の歴史は、正に始まったのでした。


91 :夏彦 ◆z2v1usCPsk :2007/11/05(月) 05:55:11 ID:p1GZb6ei
「勝ちに不思議な勝ちあり。負けに不思議な負けなし。」
と言うフレーズが浮かんできました。



92 :日出づる処の名無し:2007/11/05(月) 19:13:13 ID:HNCVfhB5
>>91
正に。

しかし、丁汝昌は名将といわれており、清帝国軍が弱かったと言うよりも、西太后が建艦費用や艦隊の維持、訓練費用を、庭園の造園や自らの贅沢三昧に流用してしまい水兵の志気が低かった事や、北洋艦隊以外の三艦隊の集中を行わなかった事など。
国の権力者の違いがハッキリでた結果ですね。
因みに、日清戦争前の前、ロンドンの賭率は7対3で清帝国有利だったそうです。
西太后は、まさか清帝国軍が日本軍に負けると思っていなかったんです。
明治大帝が危機感を持って自ら質素倹約につとめ、国を一つにまとめあげたのに比べて、西太后の危機感が全く無かった事が大きいと思います。


93 :日出づる処の名無し:2007/11/05(月) 19:43:31 ID:HNCVfhB5
☆世界に冠たる連合艦隊☆
初代連合艦隊司令長官伊東中将の武士道精神

日本艦隊に包囲され、水雷夜襲で定遠がかくざし、見方清帝国水兵の反乱という状況に陥った清帝国艦隊司令官、丁汝昌提督は、伊東長官に降伏を申し入れ、その夜自決した。
翌明治28年2月13日、清帝国海軍の将兵をジャンク(中国の帆船)で復員帰国させる話が決まった。
このとき、伊東長官は、清帝国の軍使から丁汝昌提督の棺もジャンクにて送りだされるという話を聞き、言をあらためて言った。
『亡き丁提督は威武を謳われた北洋艦隊の司令長官であった。いま尽力きて敗れたとはいえ、その棺をジャンクにのせて運ぶとは何事であろう。
武士道を重んずる日本海軍軍人として見るに忍びないことである』
そして接収した商船を特別に貸与し、棺を運ばせる事を許した。
この船が軍港を出て行く時、伊東長官座乗の旗艦松島は弔砲を放ち、連合艦隊各艦は礼式を持って半旗を掲げた船を見送った。
この措置は海軍礼節の最高峰として全世界に喧伝され、後に大日本帝国海軍の規範となり、世界的な信用も高まったのでありました。
極東の小国が、国際社会に対等に認めてもらえたのである。
当時の海軍軍人は単に勝利の為ではなく、使命感を持って戦っていたのです。

94 :日出づる処の名無し:2007/11/05(月) 20:59:12 ID:HNCVfhB5
☆当時の中国人とロシア人の評価☆

英国外相ランズタウンは日本公使林薫に『ロシア人は約束をホゴにする信義のない常習犯であるが、中国人は条約、契約の意味さえ分からないし、理解しようともしない民族である』

ルールを守らない迷惑な民族が周りにいた日本は不幸ですね。

95 :日出づる処の名無し:2007/11/05(月) 21:08:17 ID:eygE3QhS
九条の会・東大
http://www.geocities.jp/todai_9jyo/contact.html
九条の会・京大
http://kyodai9jo.kurushiunai.jp/
九条の会・北大
http://www.geocities.jp/hokudai_article9/index.htm
九条の会・名大
http://www.geocities.jp/meidai9jyou/index.html
九条の会・阪大
http://handai.sakura.ne.jp/9jou/
九条の会・早稲田
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/article9_waseda05
東京院生九条の会
http://insei9.hp.infoseek.co.jp/


↓↓逆立ちしても変えられない現実w↓↓↓

 護 憲 リ ベ ラ ル = 高 学 歴

 ウ ヨ ク = 低 学 歴

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

96 :日出づる処の名無し:2007/11/05(月) 22:04:27 ID:HNCVfhB5
☆日清戦争当時の戦況について☆
日本軍の軍紀と中国軍の軍紀
フランス人国際法学者フォーシュは、日本政府を讃えて語った。
『事実は、日本政府がその採択せる文明の原則を実行するに堪える事を示した。日本軍は日清戦争で、敵(中国人)が国際法の原則を無視したにも関わらず、自らこれを尊重した』
大日本帝国の軍人である事を誇りにしていた日本軍人がはじめて遭遇した清兵(陸軍)は、卑怯にして残虐極まりない軍隊であった。
清兵の捕虜になると四肢を切り分けられ、生きながら火炙りにされたり、磔にされた。
『日本軍の屍に向かっても、死者首を斬り、面皮を剥ぎ取り、或いは男根を切り取り、胸を割いて石をつめこむ』か
『首級は両耳を穿って紐やはりがねを通し、あるいは魚を串刺しにしたように口から喉に紐を通し、持ち運びしやすくしてあった』日本軍人の戦記にはこのような記述がよくみられる。

97 :日出づる処の名無し:2007/11/05(月) 22:23:24 ID:HNCVfhB5
☆日清戦争当時の軍紀☆

フランスのフィガロ紙従軍記者、カレスコーとイリュストラシオン紙記者、ラロー両氏の日本軍戦闘観戦記によると『大日本国軍隊は世界に対して誇るに足る名誉を有する』

『余等は日本帝国の如き慈愛心に富める民あるを、この広大な地球上に発見し得るかを怪しむなり』と驚嘆し、絶賛した(明治28年2月22日『報知新聞』)
その代わりに清軍の暴行について、こう記述している。
『ひるがえって清軍を見よ。日本軍卒の一度、彼等の手に落つや、あらゆる残虐の刑罰を以て、これを苦しむるにあらずや。
或いは手足を断ち、或いは首を切り、睾を抜く。その無情、実に野蛮人にあらざればよくすべきの業にあらず。
しかし日本はこれあるに拘わらず暴に酬ゆるに徳を以てす。流石に東洋君子国たるに恥じずと云うべし』
大日本帝国軍人の軍紀は、北清事件の当時も列強から称賛され、軍人のモデルとされてきた。

98 :日出づる処の名無し:2007/11/05(月) 22:59:09 ID:HNCVfhB5
☆日清戦争当時の軍紀☆

牙山で日本軍に敗れて平壌に退いた清軍は、朝鮮人に対して略奪、強姦、虐殺をほしいままにし、清軍の行くところ、人民はことごとく町や村を捨てて逃避する有り様だった。
戦争の形態や様式は、一国の文化様式でもある。
武士社会の伝統を受け継いだ日本軍は、近代戦場でも武士道精神を受け継ぎ、軍律を守り、整然と戦った。
中国と朝鮮人の文化は罪人を、生きたまま切り刻み、八つ裂きにし、三族(三親等)を滅ぼす(皆殺し)文化であり。
日本人とは全く違う文化なのです。


99 :日出づる処の名無し:2007/11/06(火) 01:42:14 ID:JYMpneFy
国と憲法は切っても切れないものであるが、護憲と称して国を破壊しようとしている連中がいる
この連中が「護憲」などということは永久に無い
この連中への適切な呼称は、「九条原理主義者」といったところ


95 名前:日出づる処の名無し[] 投稿日:2007/11/05(月) 21:08:17 ID:eygE3QhS
九条の会・東大
http://www.geocities.jp/todai_9jyo/contact.html
九条の会・京大
http://kyodai9jo.kurushiunai.jp/
九条の会・北大
http://www.geocities.jp/hokudai_article9/index.htm
九条の会・名大
http://www.geocities.jp/meidai9jyou/index.html
九条の会・阪大
http://handai.sakura.ne.jp/9jou/
九条の会・早稲田
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/article9_waseda05
東京院生九条の会
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 護 憲 リ ベ ラ ル = 高 学 歴

 ウ ヨ ク = 低 学 歴

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100 :夏彦 ◆z2v1usCPsk :2007/11/06(火) 06:15:26 ID:hiFLwviT
>>92
清側のあのバックアップ体制では、現場の司令官が些か気の毒な様な。
あれでは勝てるものも勝てませんね。

>>96-97
私は何時も思うのですが、死者に妙な事をして意味があるのでしょうか。
文化の違いと言えばそれまでですが。


101 :日出づる処の名無し:2007/11/06(火) 21:30:33 ID:s1utTIbm
>>100
儒教では死体を傷つけるのはしてはいけない行為なのですが、中国人は、されたくない事を相手にすることで満足するようなのです。
中国の伝統的な刑罰は、いかに相手が苦しむかを考えたものが多いのです。
生きたまま苦しみながら殺すのが好きな民族なのです。
山西王といわれた閻錫山は、日本陸士の卒業後に帰国した直後、袁世凱総統に上申書を出して、中国には『山があれば、賊がいないところはなく、湖があれば、匪がいないところはない』と当時の中国社会の現状を指摘しています。
匪賊が支配しているところは非生産的な地域であり、民衆から略奪したり、虐殺するのは中国では当たり前だったようです。
つまり、軍閥と匪賊と役人が渾然一体となり、勢力争いをしていたんです。
因みに、毛沢東は共匪、張作霖は馬賊

中国には『辛災楽禍シンツアィロウホウ』という文化があります。
日本なら、外国で大事故があれば日本人の安否を報道し高い関心を示し、その痛みを分かち合う発想がありますが。
中国人は全く違います。
中国人にとって国家とは、至高無上なものであっても、生民なんてなんの価値もないもので、海外にとどまらず、国内の民衆でさえ、政府にとっては棄民であり、同胞にとってもよそ者なのです。
異常に敵対心の強い中国人同士にとって、他人の不幸は寧ろ喜ぶべきで、冷たい目でみるのが一般的なのです。


102 :日出づる処の名無し:2007/11/06(火) 23:30:47 ID:s1utTIbm
ルールを厳守する皇軍@
☆コウショウ号撃沈事件 ☆
東郷平八郎大佐と万国公法
明治27年7月25日午前、巡洋艦浪速の艦長東郷平八郎大佐がイギリス商船コウショウ号を豊島沖で撃沈したというニュースが国内に流れると朝野は驚き恐れた。
何にしてもその相手国が悪かった。当時世界の七つの海を支配していたイギリスである。
そのイギリスがどの様な出方をしてくるか。それを恐れるあまり、伊藤博文内閣の非難は東郷平八郎大佐に集中した。
『東郷とはどんな男か。とんでもない事を仕出かしてくれた』
そのため海軍大臣西郷従道は弁明の言葉を知らずに窮地に落ちた。
時を置かずイギリスの外務大臣キンバリーは青木公使を官邸に呼びつけてこう抗議した。
『イギリスの与論も騒然として貴国の海軍士官のなした行動を非難している。そのイギリス国民の生命財産に対する損害は全て日本政府がその責任を負うべきである』


103 :日出づる処の名無し:2007/11/06(火) 23:48:17 ID:s1utTIbm
ルールを厳守する皇軍A

政府はこの対応に苦慮し、遅蒔きながら西郷に対して至急その真相を糾明するよう命じた。
西郷はすぐに海軍省の武官を現地に派遣し東郷平八郎から事情聴取を行った。
平八郎は雄弁ではなかった。
一語一語かみしめるようにして答えた。時は日清戦争が始まったばかりである。 事件はこの戦争とともに起こった。
当時朝鮮は清国を宗主国として貢物を献じ、その保護と命令を受けていた。
明治27年(1894)春、その朝鮮に『東学党の乱』が起きた。
この東学党とは19世紀始めに朝鮮に生まれた新興宗教である。
それは天守教、いわゆる西学に対抗するもので、呪文と護符との力で病気を治すということで、南部諸道の農民の間で、急速にその信仰をえてきた。
そこで朝鮮政府はこれを邪教として弾圧にかかった。


104 :日出づる処の名無し:2007/11/07(水) 00:06:05 ID:fJK7fd2U
ルールを厳守する皇軍B

しかしそれが弾圧されればされるほど農民たちは結束し、いよいよ一揆の性格が強まっていった。
農民たちはかねがね政府に納める貢米に、地方官吏がその何割かを水増しして不正徴収している事実を政府に訴えたが、ついにそれが政府の取り上げるところとならなかった。
彼らは東学党と一体となって汚吏貪官追放を叫んだ。
朝鮮政府が鎮定に苦しむのを見て、清国朝鮮駐在公使袁世凱は北洋大臣李鴻章と謀り『属国保護』を名目に三衛(一衛は500人)の兵を威海衛より忠山南道牙山に派遣した。


105 :日出づる処の名無し:2007/11/07(水) 00:25:02 ID:fJK7fd2U
ルールを厳守する皇軍C

大日本帝国政府は、居留民、公使館を保護せんがため朝鮮に派兵する事を決した。
もし、清国が我が提案に応ぜざるときは、我が国は独力を以て、内乱鎮圧及び内政改革の実行にあたる。
直ちに、明治天皇の御裁可を仰ぎ、駐朝、駐清公使館に打電して6月7日、朝鮮・清国政府に通告した。
これに対して駐清兼任駐朝公使大鳥圭介から次の打電があった。
『袁世凱は日本と戦う意志があるようです。彼はこう豪語しています。日清間で戦えば、最後に勝つのは必ず清国だと』
袁世凱が強硬姿勢をとったのは李鴻章の訓令によってでした。
李鴻章は戦争も辞せずと決意を固めていました。
ロシア公使カシニーに対して彼はこう言ってはばからなかった。
『一、二戦すれば、倭人は必ず敗走する』つづく…


106 :夏彦 ◆z2v1usCPsk :2007/11/07(水) 06:49:26 ID:50Bs9C2i
>>101
彼の地では60数年前まで、匪賊、馬賊の類いがごろごろ居ましたからね。
なるほど。今は共匪ですか。

chinaでは、地縁、血縁がなければ非常に冷たい仕打ちを受けると言いますね。
統治に関しては、「上に政策あれば下に対策あり」とか。

107 :日出づる処の名無し:2007/11/07(水) 18:49:36 ID:fJK7fd2U
>>106

正にその通りです。
中国人や朝鮮人のメンタリティーを知るのには、王朝の勃興を調べるとよくわかります。
中国人の最初の統一王朝の秦は漢民族ではなく北方の遊牧民のです。
実は、漢民族の統一王朝は少ないのです。
漢、宋、明ぐらいなものなのです。
隋=鮮卑
唐=鮮卑
元=モンゴル
清=満州族
しかも、漢民族の代表的な王朝漢の劉邦は農民から皇帝になってしまったんです。即ち、匪賊とか馬賊のようなもので、仲間を集めるで力を蓄えながら皇帝になってしまった。おまけに、明の皇帝も農民→坊さん→紅巾の乱の頭目→皇帝ですから。
唐の李淵も軍閥から皇帝になってます。
中国人は金と人材や力を蓄えれば皇帝になれる図式ですから、手っ取り早く略奪して、しかも虐殺して復讐されないように口封じをする文化になってしまったのだと思います。
いまでも中国人は会社の社長になりたがる国民性があります。
日本人は、何故か?トップにはなりたがりません。
他方、李氏朝鮮も李成桂は高麗の恭譲王から王位を奪っています。
儒教の国なのに部下が裏切り王位を奪うのは朝鮮や中国では当たり前なんですね。
中国人や朝鮮人は主君から王位を奪っておきながら、部下には儒教で絶対的な服従を誓わせるエゴイストなんです。
日本人とは全く違います。


108 :日出づる処の名無し:2007/11/07(水) 19:04:00 ID:tYRjIKRd
中国や半島にも、
積み重ねてきた歴史があるよ。
そんなに馬鹿にしたもんではない。

敵か味方か、みたいに単純なもんじゃないし、
敵でも味方でも、尊敬できるほうが良い。

109 :日出づる処の名無し:2007/11/07(水) 19:13:34 ID:CTVTs1q4
>>108
最高傑作!韓国の伝統文化を伝えます!韓国に興味ない方も是非見てね!!
http://imaking.iza.ne.jp/blog/entry/302108/


110 :小沢一郎と中国・胡錦濤(コ・キントウ)はあたかも、、、:2007/11/07(水) 19:14:10 ID:9Yk/pE2/
http://esashib.hp.infoseek.co.jp/fukasaku05.htm
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-10-31/03_01.html
小沢一郎と中国・胡錦濤(コ・キントウ)はあたかも侵略殺人強盗の責任がA級戦犯だけにあるような暴言を振り撒いている。侵略殺人の実行犯人である靖国英霊という個別の兵士が免罪されると本当に思っているのか。
靖国英霊という個別の侵略強盗兵士に殺されたアジア各地の被害者を無視して、何の未来だ! 何が歴史だ! この恥知らずめ。
http://home.kanto-gakuin.ac.jp/~hirofumi/gallery.mal02.htm
2006年の今こそ如何に困難で厄介であろうと靖国英霊という侵略強盗殺人の犯罪兵士と
その共犯兵士を裁く新たな東京裁判を戦後世代の手で開始しなければいけない。
靖国侵略強盗殺人兵士の放置を時代の所為にする卑劣と怠惰に終止符を打つ時が来た。
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/mondai/rape.html
家族のために天皇のために国のためになどとほざいて、海を渡り侵略強盗・強姦殺人を
繰り広げた靖国英霊という犯罪兵士が許されるのなら、道徳などどこにも存在しないに等しい。
侵略殺人英霊兵士の罪が放置された「平成」社会にはどんな法律もモラルも機能するはずがない。
親分=A級ゴロツキ戦犯だけが罪を問われ、侵略強盗殺人強姦の実行犯である子分=皇軍兵士が許されるなどという社会がどこにある!
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/mondai/gyakusatu.html
靖国A級戦犯だけを分祀すれば済む問題では断じてない。
数千万のアジアの人たちの人生を破壊した靖国英霊という侵略強盗殺人の犯罪兵士とその共犯兵士が許される筈がない。
http://yeoseong.korea-htr.com/jyoseihoutei/nisino.htm
国のために平気で人を殺すような軍人を大量に飼育している韓国、北朝鮮というチンピラ軍事国家も分かっているのか!現在、続発する残虐犯罪は靖国英霊という侵略強盗殺人犯の「戦後社会による放置」が原因である。
侵略強姦英霊兵士に殺されたアジアの貧しい被害者の立場に立とう
:国家間の憎悪を扇動する英霊軍需利権商売 :


111 :日出づる処の名無し:2007/11/07(水) 19:16:57 ID:tYRjIKRd
アジアは貧しい被害者って、
馬鹿にしてんのか?

112 :日出づる処の名無し:2007/11/07(水) 19:29:21 ID:fJK7fd2U
>>108
朝鮮や中国に歴史がないと思っている日本人はいませんよ。
中国人や朝鮮人の文化や歴史の真実を知る事が重要です。
中国人や朝鮮人がどんな発想や思考方法をするのは近代史を学ぶとよくわかります。


113 :日出づる処の名無し:2007/11/07(水) 19:30:55 ID:tYRjIKRd
それに関しては、
ロシアやアメリカも同じじゃん。

日本も例外じゃないし。

114 :日出づる処の名無し:2007/11/07(水) 19:38:59 ID:fJK7fd2U
>>110
ここは日本ですから、日本の法律にのっとり裁判等が適切に行われております。
60年以上も前の戦争を裁く法律は存在しません。
不遡及の原則です。
あなたは日本人じゃありませんね。
日本人は亡くなった人は皆さん仏様ですから。


115 :日出づる処の名無し:2007/11/07(水) 19:53:40 ID:fJK7fd2U
>>113
明治維新以来の歴史的経緯を掘り起こす事で中国人や朝鮮人、ロシア人とどうつきあうかが理解できます。
基本的には敵国という認識でよいと思います。

116 :日出づる処の名無し:2007/11/07(水) 20:03:20 ID:tYRjIKRd
現に攻撃を受けてる。
そのへんは、何とかしたい。

セコい手を使う連中も、
不器用にぶっ壊すアメリカも、
似たようなもんだ。

正直は、最良の選択ってのは、
性善説じゃなくて、単なる事実だろうに。

117 :日出づる処の名無し:2007/11/07(水) 20:12:41 ID:fJK7fd2U
ルールを厳守する皇軍D

李鴻章は朝鮮国境新義州から平壌に大軍を送ったが、その上京城南方牙山の陸兵を増強するため、英国商船を借り受けて、砲兵、歩兵1500人を乗船させ、砲艦操江を護衛につけ、巡洋艦済遠、広乙を先発させた。
一方、日本側も明治27年6月25日、一旅団の陸兵を運送船和歌山丸、熊本丸、三河丸、仙台丸、越後丸、酒田丸、住之江丸の八隻に乗せて仁川港へと運ぼうとした。
このときの護衛艦が東郷平八郎を艦長とする浪速だった。
平八郎はこのときの事をこう述懐した。
『兵員の護衛は気が疲れる。彼らを無傷で目的地まで運んで当然だから』


118 :日出づる処の名無し:2007/11/07(水) 20:21:42 ID:fJK7fd2U
>>116
基本的には中国人や朝鮮人やロシア人は日本人に復讐をしたい欲求がありますから、これら隣国と同盟を結ぶなど論外です。
貿易立国たる日本が、食料安全保障上も経済的な利点からも同盟国をアングロサクソンの米国とするのは理にかなっていると思います。

119 :日出づる処の名無し:2007/11/07(水) 20:27:09 ID:tYRjIKRd
軍事的な同盟はアメリカだし、
地域で固まるとか、そういう単純な話でもない。

ただ、交渉は必要なわけで、
ロシアに関しては、欧州と組む必要も、
あると思う。

ある程度、利害を共有しないと、
交渉もできない。

120 :日出づる処の名無し:2007/11/07(水) 20:37:28 ID:fJK7fd2U
ルールを厳守する皇軍E

29日仁川で無事陸兵の上陸を終わり、ホットして港外へ出た時、平八郎は図らずも全面の海上に、仁川目指して進んでくる二隻の清国軍艦に遭遇した。
戦艦鎮遠と平遠である。浪速の前艦橋に立った平八郎は、その双眼鏡でハッキリと見た。
艦尾にひるがえる黄竜旗(清国の国旗)と前マストの少将旗とを…
鎮遠の艦長は、平八郎とも面識のある林泰會である。
彼は南宋の救国の英雄岳飛の再来といわれていた。
それを見ると平八郎の眉に決意がはしった。
『全員戦闘配置につけ!ラッパ隊は上甲板へ』浪速の艦上に行き詰まる一瞬が流れた。いつ砲撃が開始されてもおかしくはなかった。彼我の距離はみるみる縮まった。

121 :日出づる処の名無し:2007/11/07(水) 20:44:22 ID:56Z/mSiD
♪まだ沈まずや定遠は この言の葉は 短きも♪

122 :日出づる処の名無し:2007/11/07(水) 20:54:50 ID:fJK7fd2U
>>119
現憲法下にあっては、やはり、制海権と制空権を握る米国と袂を分かつ事は不可能です。
容易に憲法が改正できない以上妥当な選択だといえる。
また、隣国とは貿易を通して付き合う以上の関係は厳禁。
最近は中国の大気汚染が日本国内へ飛来し、光化学スモッグを至る所で発生させており、深刻である。
中国に進出している日本企業は危機管理の徹底が必要です。
朝鮮半島には関わらないのが得策です。
ロシアは資源も豊富ですから、資源開発で協力すべきでしょう。
隣国は約束を破る性質を持っていますから、常に警戒感を忘れないことこそ肝要です。

123 :日出づる処の名無し:2007/11/07(水) 20:59:21 ID:tYRjIKRd
北朝鮮の黄海側に、
港と駅の交易拠点を設ける、

ってのは愚策だと思いますか。

124 :日出づる処の名無し:2007/11/07(水) 21:13:43 ID:fJK7fd2U
ルールを守る皇軍F

このとき浪速の艦上から高らかにラッパの音が響いた。
外国の少将に対する敬礼の曲である。林泰會はこれを鎮遠の艦橋下で聞いた。
直立したままである。平八郎もまた直立して艦橋にいた。
二艦は静かに波をけたてて左と右に別れた。林泰會は復命書にこう認めた。
(浪速の)我に対する賓礼は尚ほ常の如くなるも、密かに砲側に兵員を配り、しこうして従客たるの態度は我をして憤慨に耐えざらしむ。

この復命書は後に日本軍が清国海軍基地威海衛を占領した時、図らずもわが手に入った。
林泰會も鎮遠の兵員を戦闘配置につけ、舷側に伏せていた。
先制攻撃をかけようとした時に賓礼ラッパの音を聞き、林泰會はその機会を逸した。
林はあとまでこのことを口惜しがった。
東郷平八郎大佐は、肩すかしを食らわしたのでした。

125 :日出づる処の名無し:2007/11/07(水) 21:22:05 ID:fJK7fd2U
>>123
日本側にメリットはないと思われます。
おそらくは、中国人の投資家か中国政府がその内投資しだすと思いますよ。
人件費がやすいですから、韓国も投資する可能性がありますが、日本は君主危うきに近寄らずです。


126 :日出づる処の名無し:2007/11/07(水) 21:31:17 ID:tYRjIKRd
いや、アメリカに対する手前、
北朝鮮と言う「中立的」な国を経由することも、
必要かと思いまして。

北朝鮮から糸が外れると、
焦点が、実は日本になりそうな気がして、
どうにも、警戒感が・・・。

127 :日出づる処の名無し:2007/11/07(水) 21:43:00 ID:fJK7fd2U
ルールを厳守する皇軍G

そこから浪速は佐世保に帰って連合艦隊の戦時編成がなされ、巡洋艦吉野、秋津州とともに第一遊撃隊に編入された。
出航は7月23日午前11時である。
第一遊撃隊は吉野、秋津州、浪速の順で単従隊をとり、25日の早朝牙山に達した。
この日は天気快晴でわずかに霧が立ち込めていた。丁度そのとき、豊島のから二船がわが方に近づいて来た。
近づくにつれてそれが清国巡洋艦済遠と広乙であることが認められた。しかも二艦は戦闘体勢に入っていた。
午前7時52分、彼我が三千米の距離に入ると、済遠の艦砲が白煙をはき、遊撃隊の頭上に飛んできた。
三艦は直ちにこれを応じ、左舷砲をもって済遠を砲撃し、ついで広乙を撃った。
広乙は済遠に近くかと見るまに、方向を変えて秋津州と浪速の間に進んできた。

128 :日出づる処の名無し:2007/11/07(水) 21:49:55 ID:g75DjVpx
>諸外国では戦勝記念日があるのに何故我が国にはないのか?

んな格好悪いもんなくていいよ
左翼的な事を言いたいんじゃないが、人殺ししてお祝いって感覚が異常だろw
正直戦勝記念日とかやってる国は全部アフォだと思う

129 :日出づる処の名無し:2007/11/07(水) 21:57:17 ID:fJK7fd2U
>>126
北朝鮮は中国人に任せておけばよいのです。
もともと朝鮮半島は中国の属国なのでしから。
中国、韓国、北朝鮮は歴史的にも近いですから一つにまとまる可能性はありえます。
大統領選挙が近いですが、韓国野党ハンナラ党の李明博氏は日本の大阪生まれで、日韓関係の改善に一役かう可能性はあります。
中国の軍事力は侮れませんが、主導権は米軍が握っており、極東の軍事バランスは米軍次第です。


130 :日出づる処の名無し:2007/11/07(水) 22:00:57 ID:fJK7fd2U
>>128
賢い国を上げてくださいね。
少なくとも、第二次世界大戦戦勝国には戦勝記念日はあります。
フランス、アメリカ、ロシア、イギリスなどの主要国には戦勝記念日があります。
あなたの定義では、主要国がみんなアホになります。

131 :日出づる処の名無し:2007/11/07(水) 22:01:33 ID:tYRjIKRd
中国が、北朝鮮を飲み込むなら、
逆に将来、東北部、満州が独立する、
足がかりになりますな。

そのへんは、慎重だと思いますが、
まあ、目先の利益で動いちゃうと、
どうなるか分かりません。

132 :日出づる処の名無し:2007/11/07(水) 22:15:08 ID:fJK7fd2U
ルールを守る皇軍H

吉野は左に旋回して逃げだそうとする済遠を追った。
そのとき砲煙が海霧と混じり合って浪速の視野がきかなくなった。
その霧の中で左舷艦尾におぼろげながら、広乙の三本マストが現れた。
浪速の砲手は一斉に砲口を広乙に向けて集中放火を浴びせた。
その砲弾は確実に命中して艦体から火柱が立った。
広乙はそれを逃れようとして陸岸に向かい、それをまた秋津州が追った。
済遠も進路を北西にとり吉野が追ったが、航路逃れ安全を考え、これを途中で断念した。
浪速はこの吉野の前に出てなおも済遠を追っているうちに、西方に清国砲艦操江と英国旗を掲げた運送船一隻を発見した。
操江は済遠に近くや、その信号を受け運送船を放置してそれに従った。


133 :日出づる処の名無し:2007/11/07(水) 22:23:58 ID:fJK7fd2U
>>131
中国の歴史を見れば、分裂は当たり前のように起こっていますから、不満がたまった所にマグマが吹き出すような爆発が起こり、満州独立もありえます。
しかし、満州族はかなり勢力を失っているようです、一説には、満州族は中国国内に四散させられ、現在の中国東北部にはあまりいないようです。
なぜ、中国が北朝鮮を飲み込むのかは、漢民族が朝鮮半島に楽浪郡を置いて支配してきましたから、中華帝国の版図の回復をすると思うのです。


134 :日出づる処の名無し:2007/11/07(水) 22:41:21 ID:fJK7fd2U
ルールを厳守する皇軍I

浪速はなおも済遠を追撃しようとした時、司令官からイギリス船にあたれと命令が出された。
イギリス船は浪速の右舷を通過してその進路を仁川へ向けていた。
その上甲板にも船窓にも多くの清国兵の姿も見えた。
これこそ李鴻章が牙山に送り込もうとした陸兵であった。
平八郎大佐は目ざとくそれを発見すると、直ちに信号兵に万国信号を送った。
『直ちに止まれ』『直ちに投錨せよ』
イギリス船はそれを受けて停止した。時刻は午前10時8分を指していた。
同10時40分、平八郎大佐は同艦分隊長、人見大尉に命じてイギリス船を臨検させた。
人見はボートで船を横ずけすると、船側に下げられた綱梯子を上り、イギリス船長ガルス・ウォルスキーに会って船籍講書の提示を求め、数回の質問を試みた。
人見はすぐ艦に引き上げて復命した。
つづく…

135 :日出づる処の名無し:2007/11/08(木) 00:33:00 ID:/Bj3qRWl
満州族は、中華を制覇した民族の例によって、
すっかり漢族化してしまった人たちも多いようですから、
分離独立云々とは、あんまり関係がないでしょう。

ただ、高句麗となると話が違います。

高句麗は中国の地方史である、
と主張して中国が北朝鮮まで飲み込むのであれば、
高句麗は独立を求める、と満州独立の根拠にもなります。

白頭山が中国と北朝鮮の国境にあるのは、
実に微妙なわけで、半島系の民族も満州族も、
同様に聖地として認識していたようですし、

東北部にも朝鮮族は少なくないそうですから、
まあ、それはそれで良いのかもしれませんが、
折り合いは、重要だと思います。

136 :夏彦 ◆z2v1usCPsk :2007/11/08(木) 18:58:05 ID:PeV6YU3u
スレ主さんの外交方針は、非のつけどころがありません。
現憲法下では、そして日本の非核(武装)の状況下では、日米同盟を
外交の基軸にしていくしかありませんからねぇ。

137 :日出づる処の名無し:2007/11/08(木) 19:01:57 ID:BWUN28OQ
>>136
その、IDの前にある「桜」ってなに?

138 :夏彦 ◆z2v1usCPsk :2007/11/08(木) 19:17:56 ID:PeV6YU3u
>>137
ああ、これは極東株の保有数を表しています。

http://www.rabby.net/2ch_se/2007/06/post_3.html

>株の保有数に応じたIDの表示※beログイン必須持株数による、表示ID一覧
株 01〜19 愛 20〜39 妹 40〜59 還 60〜76 喜 77〜79 傘 80〜87
米 88〜89 卒 90〜98 白 99〜108 梅 109〜118 桜 119〜299 神 300〜

139 :日出づる処の名無し:2007/11/08(木) 20:13:56 ID:VRGY6GCT
>>135
高句麗の再興という話は面白いですね。
朝鮮人のしぶとさと図々しいところは並外れていますからね。
中国が混乱するようならば、あり得ると思いますよ。
可能性は小さいですがね。


140 :日出づる処の名無し:2007/11/08(木) 20:34:54 ID:VRGY6GCT
>>136

恐れ入ります。
何分、兵器の大半と食料の大半、米国債等、米国依存著しく、因縁浅からぬ中ですからね。
最重要の貿易相手国の米国と敵対するわけにはいきません。
国民を飢え死にさせてしまう結果になりかねません。
我が国は四方を海に囲まれており、制海権と制空権を握られたらおしまいです。世界一の海軍と空軍を持つアメリカと手を結ぶのは自明です。
日本が自力で防衛できるように憲法を改正し、核兵器を所持できた後に、自給率が80%以上なら。
独自で防衛も可能でしょうが、現在の政治混乱の状況では望むべくもありません。
何分、財政状態はひっ迫感しており、自前で防衛を整えるだけの資金も無いのが実状ですから、いかに防衛費を安くあげるかも課題です。


141 :日出づる処の名無し:2007/11/08(木) 20:55:16 ID:VRGY6GCT
ルールを厳守する皇軍J

『同船はロンドンに本社を置く印度支那汽船船会社の代理店ジャージーマジソン所有のコウショウ号であります。
清国政府の依頼で、清国1800名、大砲14門他の武器を積み、タークーから牙山へ運送する途中であります。船長に随行することを命じたところ、彼もまたそれを承諾いたしました。』
そこで平八郎は同船に対して信号をあげて抜錨を命じた。
『錨をあげよ。少しも待つ事はならぬ』しかし同船は錨をあげる気配がみえなかった。代わりに信号をあげ、こう求めてきた。
『大事な相談あり』平八郎は人見大尉に再び派遣を命じ、こう言い含めた。
『清国兵がもしわが命令に従わなければ、イギリス人乗務員を説得してボートでここに連れてこい』

142 :日出づる処の名無し:2007/11/08(木) 21:16:09 ID:VRGY6GCT
ルールを厳守する皇軍K

しかし人見大尉は一人で帰ってきた。『清兵が、わが方の命令に従うなと船長を脅しています。船内は騒然として何をしでかすかわかりません』
そこで平八郎はイギリス船の乗務員に対して信号を送った。
『直ちにその船をみすてよ』イギリス船から折り返し信号があった。『ボートを送られよ』それから彼我信号が続いた。
『ボートは送りがたい』『船を見捨てられない』『直ちにその船を見捨てよ』
平八郎は再度こう信号を繰り返して、マストに赤旗を掲げた。
赤旗は危険を知らせるものである。その間すでに二時間を費やしていた。清兵は刀剣を抜き、銃を手に取って以前として船長らの自由を奪っていた。
船長ガルス・ウオルスキーと清国将官との間にはつぎのような会話が交わされた。
『倭艦に抵抗しても無駄だ。この船は直ちに撃沈されるだろう』
しかし清国将官は聞き入れなかった。 『倭艦に従うより死を選ぶ。わが方には1800名の勇兵がいる。倭艦の乗務員はわすがに400人にも足るまい。戦おうではないか』
『勝てると思っているのか?もう、何も言うまい。我ら乗務員はこの船を去ろう』
清国将官も最後の手段に出た。『どうしてもこの船を去るならば、船長を銃殺する。わしの命令に従うか』
この船長ウオルスキーは寄しくも平八郎がイギリス留学の時乗り組んだ練習船『ウースター』号の二期後輩だった。


143 :日出づる処の名無し:2007/11/08(木) 21:31:34 ID:VRGY6GCT
ルールを厳守する皇軍L

しかし、事件当時は船長は何も言わず、平八郎もそのことを知らなかった。そのことを知ったのは17年後である。
明治44年1911年、平八郎は依仁親王に随行して渡英した。
そのとき平八郎は『東洋のネルソン』としてイギリス国民の熱烈な歓迎を受けた。
そこに『ウースター』号の卒業生たちも平八郎の為に歓迎会を開いてくれた。
そこにウオルスキー船長から書状が届いた。
『わたしも歓迎者の一人として資格があるが、コウショウ号事件の関係者なので、出席を見合わせた方がよいと判断した(歓迎会で水をさしては失礼であると判断した)』
平八郎はこの奇縁に驚きとイギリス人気質を感じた。当時はこの関係を一言も口にしなかったのに、今になってしらせてこようとは。



144 :日出づる処の名無し:2007/11/08(木) 21:42:17 ID:VRGY6GCT
ルールを厳守する皇軍M

熟慮のうえ、平八郎は遂に決断した。
『撃沈する』続いて艦内に『打ち方始め』の号令が響いた。
水雷が発射され、砲撃が始まった。
千余人の清兵の一部は小銃をとって浪速に発砲し、他の者は先を争って海中に飛び込んだ。
午後1時15分、イギリス船は後部からゆっくりと沈みはじめた。平八郎は直ちに発砲を止め、ボートを下して漂流者を救助させた。
その間イギリス船は沈み続け、1時40分その船体を完全に波間に消した。
イギリス船の船長以下乗組員は全員無事浪速に救助された。


145 :日出づる処の名無し:2007/11/08(木) 21:56:23 ID:VRGY6GCT
ルールを厳守する皇軍N

平八郎は中立国籍のイギリス船を撃沈するまでには、彼がイギリスで学んだ国際法に基づいてよく考えた。
国際法とは条約と国際習慣と諸国間の合意とからなっている。
しかも平八郎はよく戦時国際法に精通していた。
日本が清国に対して『宣戦布告』したのは明治27年8月1日である。
しかし日本政府はすでに述べたように、6月7日に清国に対して『朝鮮出兵』を通告している。
当時は国交断絶と武力行使が戦争の『黙示的表現』とみなされ、実質的にこの出兵通告で交戦状態に入ったと解されていた。
戦争をはじめるとき、宣戦布告を武力行使に先行することを義務付けたのは、1907年第2回ハーグ平和会議で『戦争開始に関する条約』が結ばれて以来の事である。

146 :日出づる処の名無し:2007/11/08(木) 22:10:03 ID:VRGY6GCT
ルールを厳守する皇軍O

こうして交戦状態に入れば、交戦国の軍艦は洋上で出会った船舶は全て臨検・捜索し、適性の有無を確認する権利を持っていた。
中立国の船についても同様である。1856年のパリ平和会議で調印された。
『海上法の要義を確定する宣言』が一般に承諾されていて、それによれば、中立国の国旗を掲げている船に積まれている適商貨は没収できる。
その中立国船舶が敵国軍艦に護衛されていたり、また臨検・捜索に抵抗した時は敵船舶とみなす。
従ってその船を捕獲する事も撃沈することも可能なのである。
しかも、その時受けた中立国船舶の損害に対しては、一切賠償責任ないと解されていた。


147 :日出づる処の名無し:2007/11/08(木) 22:22:04 ID:VRGY6GCT
ルールを厳守する皇軍P

平八郎はイギリス船舶撃沈の事実と、その法的根拠をあげて海軍省の事情聴取に答えた。
ただ平八郎にとって意外だったのはイギリスの外務相から抗議をうけた事である。
平八郎はすぐにはそのことを信じかねた。自分のなした行動の正当性を最も知っている者は、イギリスのはずである。
平八郎としては無知なものが自分を非難するこはあったとしても、当のイギリスだけは自分の行動を是認してくれるものと考えていた。
もしこれを否認すれば、イギリスの法と正義とは一体どこへ行ってしまうのか。


148 :日出づる処の名無し:2007/11/08(木) 22:43:08 ID:VRGY6GCT
ルールを厳守する皇軍Q

この間にも日清戦争は急速に進展していた。日本政府はイギリス船舶撃沈にだけかまけてはおれなかった。
この問題は外交交渉に委ね、政府の関心は専ら勝敗のきすうに移った。
日本軍は、王妃の専横を排除したかった朝鮮王高宗の父親の大院君を支援してクーデターを起こして親日政権を樹立した。
そして朝鮮政府から清国軍の撤兵の要請を受けて、牙山に籠もる清国軍を攻撃した。
一方、清国軍は、守りの固い牙山の東成歓に軍を移して日本軍を迎えうった。
清軍2000と日本軍3000。日本軍は地形の不利を考慮して夜間に東成歓の近くまで接近し、夜明けと共に総攻撃をかけた。
戦いは一時間半で清兵が敗退した。
この陸軍の初戦の勝利は、日本国内に大々的に報道され、国民は狂喜乱舞した。

149 :日出づる処の名無し:2007/11/08(木) 22:49:40 ID:66kd2ipl
×終戦記念日
○終戦の日

150 :日出づる処の名無し:2007/11/08(木) 22:55:49 ID:VRGY6GCT
ルールを厳守する皇軍R

たまたま『タイムズ』の一論文が日本に報じられた。イギリス一流の公法学者ホルラント博士がイギリス船舶撃沈問題を取り上げて東郷平八郎を弁護した。
イギリス船舶が撃沈されたのは、既に戦争の始まったあとである。
戦争というものは、これを予告なしに始めても違法ではない。
このことはイギリス・アメリカの法廷で幾度となく確認されていることである。
イギリス船舶の乗組員は最初これを知らなかったと言ったが、日本の海軍士官がイギリス船舶に乗り込んだとき、これを知ったとみなされる。この場合、その船がイギリス国旗を掲げていた事は、取り立てて問題にならない。


151 :日出づる処の名無し:2007/11/08(木) 23:09:46 ID:VRGY6GCT
ルールを厳守する皇軍S

当時日本軍の軍艦が捕獲目的で、イギリス船舶に乗っていた清国の兵員を浪速に乗せる事は不可能だった。
従って日本の艦長はイギリス船舶に対し、命令に従わせるために、いかなる暴力をも用いてよい権利がある。
しかもイギリス船舶には日本軍を攻撃するための清兵が乗っていた。
日本軍が清兵が目的地に着くのを妨げるために取った行動は、これを正当な行為としなければならない。
また、イギリス船舶沈没後に乗組員は救助されて自由の身になっているから、日本の行為は国際法に違反するとは言えない。
それ故、日本政府はイギリスに謝罪する義務がなく、また船主と溺死せる欧州の家族は日本に対して損害賠償を請求する権利を持たない。


152 :日出づる処の名無し:2007/11/08(木) 23:23:36 ID:VRGY6GCT
ルールを厳守する皇軍、最終章
また、ウエストレーキ博士も『タイムズ』に一文を掲げて、浪速艦長の取った行動の正当性を重ねて強調した。
このことにより、イギリスの与論は次第に沈静化し、寧ろ平八郎大佐の果断の行動を称賛する声が生まれた。
イギリスはルールの国である。
ロシアはルールを破る国であり、中国はルールを理解さえできない国である。

このため、イギリス外務相キンバリーも日本への抗議を撤回した。
さすがはルールにこだわるイギリスである。
伊藤博文内閣は大いに喜んだ。平八郎の措置が正しく果断であった事を知ると民衆も一斉に平八郎を賛美しだした。
これにより、平八郎の名前は日本国中で知らない者はいなくなった。

153 :日出づる処の名無し:2007/11/09(金) 19:06:31 ID:gBLNQJN6
大日本帝国は清帝国を倒し漢民族を解放した。@
東アジアの近代史をみると歴史観が変わる。
中華帝国の歴史は、2千年余を数えるが、秦の始皇帝以来、そのまま一つの巨大な帝国がずっと存在していたのではない。(我が国は万世一系の天皇陛下がおわします)
そこには、王朝の交代があり、その版図は歴代王朝によってそれぞれ違う。
中国が今日、清帝国の膨張した歴史的版図を、そのまま『神聖なる絶対不可分の固有領土』としていることこそ帝国主義そのものである。
国家というものは、かつてのローマ帝国を中心とする地中海世界も、オリエント世界もインド世界も、その盛世には版図が膨張し、国力が衰退してくると、それまでの領土がつぎからつぎへと奪われていく。
それが歴史というもなのです。それは19世紀以前の『世界国家』だけの事ではなく、20世紀の近現代国民国家も『帝国主義国家』といわれる列強諸国もそうだった。

154 :日出づる処の名無し:2007/11/09(金) 19:30:34 ID:gBLNQJN6
大日本帝国は清帝国を倒し漢民族を解放したA

東アジア近現代史は、少なくとも満州族の清帝国建国と、その侵略戦争からみるべきもので、阿片戦争からでは中華人民共和国に極めて都合の良い歴史観になってしまうのである。
例えば清帝国は四代康煕帝〜乾隆帝の約150年間に、三藩の乱(雲南、広東、福建の反乱)平定、西康省設置などの中国西部、南部の支配と周辺諸国への侵略制服戦争を展開している。
特に康煕帝から乾隆帝にいたる三代に渡って、チベット、シンキョウ、外モンゴルにまたがる巨大なジュンガル帝国を一世紀近くもかかって侵略し征服した。
それこそアジア大陸の覇権をめぐる両雄の生死存亡をかけた対決であった。
清帝国はモンゴル系のジュンガル帝国を征服し、ジュンガル帝国が征服したシンキョウとチベットの地を清帝国の領土としたのである。
清帝国はそれに続き、乾隆帝の時代に貴州、ビルマ、ベトナムなどへ侵略戦争を展開している。


155 :日出づる処の名無し:2007/11/09(金) 19:48:01 ID:gBLNQJN6
大日本帝国は清帝国を倒し漢民族を解放したB

中国の正統主義的『易姓革命』史観から見れば、漢民族王朝の『宋』の後を継いだのは、モンゴル人『元』、その後は漢民族の『明』、次が満州族の『清』と続く、
しかしそれはあくまでも中華帝国の正統主義的王朝中心史観の好き勝手な史論や解釈に過ぎない。
モンゴル人の元帝国の衰退後、漢民族は明王朝をつくったものの、元帝国は開国の地・長城以北の草原に追い出されただけの事であって、けっして滅ぼされたわけではなかった。
そこで、『明』は建国以来三百年近く『北虜南倭』に悩まされ続け、それにより王朝を滅ぼされたともいわれる。
『北虜』はモンゴル人の『北元』のことで、ずっと明と対立し続けていたのだ。


156 :日出づる処の名無し:2007/11/09(金) 20:06:17 ID:gBLNQJN6
大日本帝国は清帝国を倒し漢民族を解放したB

一方、満州族の祖先だった女真人(金王朝)は、モンゴル人に征服された後、漢民族が『明』を建てた後でも独自の国家をつくれなかった。
ずっと17世紀に至るまで、朝鮮半島北部の長白山脈以北で建州女真、西海女真、黒龍江流域の野人女真三部に分かれ、北元、明、朝鮮に臣属していた。
この建州女真族の愛新覚羅・ヌルハチが満州各地の女真族を統一して、後金国を建国したのは1616年であった。
その建国宣言の『七大恨』といわれる『仇討ち』宣言とは、明王朝の迫害に対する全民族の復仇戦争である。


157 :日出づる処の名無し:2007/11/09(金) 20:08:57 ID:YXMLYqqF
■大和朝廷が祭った神 ★ 園神と韓神は、クマソ神とカラ神である。
 http://cgi.members.interq.or.jp/asia/showashi/cgi-bin/trees.cgi?tw=&log=&search=&mode=&v=1581&e=res&lp=1555&st=0

【洪潤基の妄想を斬る◆園神・韓神とは何か?】

 この洪潤基という人物はバカですかね。日本の皇室は、朝鮮・韓国とは何も関係が無いのに、無理やり関連付けようと
していますよ。
 あのですね。園神(そのかみ)というのは、『曽の神』のことなんですよ。これはクマソの神、クマソの鎮守神なんですよ。
韓神(からかみ)というのは加羅神のことなんですね。日本領=カラの鎮守神なんです。朝鮮人と朝鮮は関係ない。
 つまり、クマソとカラは、上代から政治的動乱が多発していた地方であり、ヤマト朝廷にとっては頭痛の種だった。
 天皇家は、クマソとカラが政治的に不安定で、常に動乱が絶えないのは、これらの国の鎮守神が朝廷に対して
不満を持っているためだろう、と考えていた。
 だから、これらの地域の鎮守神の怒りを鎮めるために、『曽の神』と『加羅神』を宮中で祭っていた。
園神と韓神は、奈良時代までは宮中で祭られていたが、平安時代に入ると祭られなくなった。それは奈良時代に日本領=韓が
失われたからであり、その結果、兵隊として韓に送られていたクマソ人(九州人)の反乱も無くなり、九州も政治的に安定した
ためである。

 そういうことなんですよ。朝鮮・韓国は何も関係ないんです。勘違いしないでください。
お願いしますよ。



158 :日出づる処の名無し:2007/11/09(金) 20:34:06 ID:gBLNQJN6
大日本帝国は清帝国から漢民族を解放したC

後金国はやがて、モンゴル人の『北元』からモンゴル帝国の国璽を譲り受け、モンゴル帝国の後継国として、満州蒙古連合王国というかたちで満州人の八旗軍とモンゴル人の八旗軍を主力に朝鮮を臣属させた。
三代目の順治帝の時には、長城の山海関から中国に入り、李自成(明王朝末期の反乱軍の首領)らを北京から追い出して中国に君臨した。
清帝国が満州人、モンゴル人の連合王朝であったことについては、清帝国の対外条約公文書が阿片戦争に至るまで、すべて満州蒙古両族の文字がずっと阿片戦争の『南京条約』に至るまで、すべて満州蒙古両族の文書でかかれ『南京条約』以後になって漢文を付け加えたのである。
権力中枢の軍機処(清帝国の軍事行政上の最高機関)は、19世紀に至るまで漢民族に指一本触れさせなかったのである。
曾国藩(清帝国末期の漢民族出身の政治家)や李鴻章(同政治家)ほどの重臣でさえ『家奴(かど)』(家内奴隷)とみなされていたのです。
即ち、清帝国にとって漢民族は奴隷だったのであり。
清帝国の属国の朝鮮人も清帝国にとっては奴隷だったのです。

159 :日出づる処の名無し:2007/11/09(金) 20:53:09 ID:gBLNQJN6
大日本帝国は清帝国を倒し漢民族を解放したD

清帝国の建国理念である『恨ハン』は、漢民族を総奴隷にすることで徹底していた。
清の太祖ヌルハチは、満州人の祖法として、満州人は絶対、『カンガン(宮廷で皇帝の世話係り、睾丸を切除されていた)』になってはならないとし、漢民族を宮女にすることも絶対禁止であった。
しかも、満州人と漢民族の結婚も禁止していた。
漢民族の満州への移住も禁止。
満州人と漢民族の婚姻も、西太后が解禁するまで禁止されていたのです。
満州人は漢民族の習慣である『纏足てんそく』などの風習を健康を害すると批判していた。
また、漢民族は満州族の文化や習慣を強制され、満州族の衣服(現チャイナドレスなど)に変えるように強制され、弁髪にしなければ首を跳ねられた。


160 :日出づる処の名無し:2007/11/09(金) 21:25:24 ID:gBLNQJN6
大日本帝国は清帝国を倒し漢民族を解放したE

光緒帝の実父で、西太后の妹の夫にあたる醇親王は、仏清戦争後の廷議で、『清王朝をこれから不逞の家奴(漢民族)に奪われるよりも、洋夷にひきわたしたほうがまし』とまでいっています。
いかに満州族が漢民族を奴隷として忌み嫌っていたかがわかります。
そもそもヒマラヤ山脈南麓から東南アジアにかけて、雲貴高原、両広、中国の東南沿岸に至るまでの針葉樹帯は、欧州のバルカン半島と同じように生態学的には複雑多岐な多民族の生活圏であって、
清帝国の侵入以降19世紀末に至るまで多くの反乱が繰り返されている。
湖南、貴州、雲南などのミャオ(苗族)イ族など少数民族の反乱は続発したが、その歴史は語られることはない。


161 :日出づる処の名無し:2007/11/09(金) 21:38:48 ID:gBLNQJN6
大日本帝国は清帝国を倒し漢民族を解放したF

清帝国は200年間近く対外侵略を繰り広げ、その膨張主義の結果、その版図は宋、明、以来の中国歴代王朝の伝統的領土の約三倍以上となっていった。
今日の中国は、阿片戦争を帝国主義列強諸国の中国侵略と主張することによって清帝国の対外侵略史を抹殺し、清帝国の領土を『神聖なる絶対不可分な領土』と主張しているのです。
中国の歴史歪曲の一つであります。

我々大日本帝国は、満州族に奴隷にされていた漢民族と、清帝国の属国で奴隷となっていた朝鮮族を奴隷の身分から解放したのでありました。


162 :日出づる処の名無し:2007/11/09(金) 21:58:09 ID:gBLNQJN6
大清帝国時代は、満州、蒙古両連合王朝により、漢民族も朝鮮人も奴隷とされていたわけですね。

大日本帝国が東洋1の最強国大清帝国を倒し奴隷解放をしたのです。


163 :日出づる処の名無し:2007/11/09(金) 23:23:56 ID:gBLNQJN6
日本へ軍事的偵察を繰り返していた大清帝国

大清帝国は日本を懲らしめる為に日本の情報収集に余念が無かっ。
大清帝国は、日本を臣服させるために、日本征伐について、少なからぬ軍事的偵察を繰り返し懲罰戦争(大清帝国の皇帝の意に従わない国や民族を征伐する)を唱えていた。
当時の清帝国駐日大使館員がつくった『日本地理兵要』や『琉球地理志』は日本侵略の軍事関係書である。
また、清帝国の官僚は明治維新を不法に権力奪取した王朝交代とみなし、それを『精鋭なる軍万人を選び、直ちに長崎を撃ち、進んで倭都に迫れ』と提言する『征日論』さえもあった。
例えば、江蘇按察使(江蘇省治安長官)の応宝時はが日本の『台湾出兵、琉球処分』後に、江蘇巡撫の張樹声に対して日本懲罰戦争を主張しているのです。
『朝令暮改で児戯のごとし』『風俗を改むるに甚だ荒唐無稽、正遡衣冠の祖制滅ぶ』とみなしている。
我が国は大清帝国から侵略の危機にさらされていたし、祖国を守るために戦争をしたに過ぎない。
また、その清帝国を倒したわけですから、大日本帝国は必然的に中国を統一する権利を得たわけです。


164 :日出づる処の名無し:2007/11/10(土) 00:33:31 ID:pGzKoFcs
支那の歴史歪曲を正す。

19世紀以降の中国近現代史を、列強諸国や日本の中国侵略史とみるのは間違いである。
清帝国が伝統的な『朝貢秩序』を守るために列強や日本に対して懲罰戦争(皇帝の意に従わないものを懲らしめる)を展開したのである。

そもそも回族、満州族、チベット族、蒙古など、それぞれの民族が独自の国家を持つ権利を有しており、清帝国崩壊後の中華民国や中華人民共和国が、独立を宣言した各部族の独立を許さず、
武力により虐殺を繰り返し、各部族の領土を奪ったことは、帝国主義いがいのなにものでもない。
中華民国や中華人民共和国が日本や列強の被害者などという理屈は全く通用しない。
大日本帝国や欧米列強を侵略だと非難するならば、清帝国崩壊後に独立を宣言した各部族に領土を返還するべきなのです。
なにより、漢民族の土地ではないからのですから。

中華の歴代王朝や中華人民共和国が周辺国や諸部族に対して侵略した歴史を隠蔽して、大日本帝国を非難するなど厚顔無恥も甚だしいのです。


165 :日出づる処の名無し:2007/11/10(土) 09:58:00 ID:pGzKoFcs
講和条約

日清戦争は日本の勝利で終わり、講和の段階に入った。
既に1894年10月、英国は戦火が中国本土に拡大することを恐れて駐日公使を通じて講和を打診していた。
ロシアも米国も戦争の集結に関心を持っていた。日本は遼東半島と威海衛を完全に占領した後、清帝国も講和申し入れを受け入れることになる。
1895年3月19日、清帝国の全権李鴻章は門司に到着し、翌日から日本の全権伊藤博文、陸奥宗光と下関の春帆楼で、講和会談が始まった。
3月24日、第3回談判の帰路、李鴻章全権が日本人の暴漢小山豊太郎に狙撃され、顔面に負傷した。
3月30日に休戦条約に、次いで4月17日、下関条約に調印した。
重要な条件は次の三点である。
第一に清帝国が朝鮮の独立を承認すること。
第二に遼東半島、台湾、ホウ湖列島の割譲。
第三に賠償金二億両(約三億円)の支払いである。
台湾とホウ湖列島を支配することで、日本は帝国となり、二億両の賠償金は日本経済の躍進に大きな役割を演じた。



166 :夏彦 ◆z2v1usCPsk :2007/11/10(土) 12:15:54 ID:K9pFnPD8
いつもありがとうございます。
これ迄の纏めでもいきますか?

167 :日出づる処の名無し:2007/11/10(土) 12:58:28 ID:pGzKoFcs
>>166
大変お世話になっております。
まだまだ纏めにはなりませんよ。
テーマが明治維新以降の世界を震撼させた大日本帝国の栄光の歴史を祝う日を作ることですからね。
ですから何故に祝う日が必要なのかを、極東アジアの歴史を通して解説しないといけません。
もちろん、扱う範囲は明治維新から大東亜戦争までであり、まだ日清戦争までしかきていませんからね。
因みに、日清戦争については、2ちゃんで最も詳しく扱っているスレです。
中国や朝鮮、ロシアの歴史観や文化、政策などを通して、当時世界一であった明治大帝の御治世が、いかに優れていたかを明らかにし、我が国が明治大帝やその賢臣達から学ばなければならないことを明らかにできたらと思うのです。
とにかく、明治大帝の御治世は眩いばかりに輝いており、現代の軍事や外交に対する示唆を与えてくださいます。
まさに、現在の国難を解決するヒントがこの時代にあるはずなのです。
どうか御助成賜りますようお願い申し上げます。


168 :夏彦 ◆z2v1usCPsk :2007/11/10(土) 13:04:06 ID:K9pFnPD8
>>167
はい、了解しました。

スレ主さんは随分とお詳しいので、私ごときはROMってばかりですがw

169 :日出づる処の名無し:2007/11/10(土) 13:09:08 ID:pGzKoFcs
中国や朝鮮の都合の良い歴史解釈を我々日本人は認める必要などありません。

ロシア、中華帝国とその属国である朝鮮の歴史を知れば、いかに特亜が歪曲した歴史観を日本人に押し付けようとしているかが見えてきます。
明治大帝の御治世を学び、明治維新の原点に日本人が立って、この國の改革を進めることが、今求められているのではないでしょうか。
その為にも明治節の復活は重要です。
天皇陛下万歳スレで御賛同賜り、明治節を御祝いできたことはこの上ない喜びであります。
改めて、尊皇の志士各位にたいして御礼を申し上げ奉る。


170 :日出づる処の名無し:2007/11/10(土) 14:27:15 ID:pGzKoFcs
☆三国干渉@☆

理不尽なロシア、フランス、ドイツによる横やり
問題は遼東半島割譲であった。
下関条約の調印6日後に、ロシア、ドイツ、フランスの三カ国が日本に対して、遼東半島の放棄を要求した。
三カ国の主導権を握っていたのはロシアである。
4月24日、広島の大本営で御前会議が開かれ、@拒否するA列国会議に決定を委ねるB返還する
三案について激論がたたかわされた。
結局第二案をとり、列国会議を召集してその決定に服することになった。
しかし、肺肝のため兵庫県の舞子で静養していた陸奥宗光外相は、いわゆる枕頭会談で、問題を国際化すればさらに干渉を受けるおそれがあるとし、『虻も蜂も補足しえざるの愚を招く(すべてを失う)』と説いた。
陸奥は下関条約はそのままあくまで批准書を交換した上で、個別の条約により遼東半島を清帝国に還付すべきであるとの意見を完徹した。
即ち、5月4日、日本は遼東半島の放棄を決定し、11月8日遼東半島還付条約に調印して、代わりに3000万両を得た。
日本国民は露仏独の三国干渉に激怒し、ロシアに対して敵愾心を高めたかは想像に難くない。
その後、こともあろうかロシアは1898年3月27日、清帝国との間に旅順・大連湾租借条約を結んで日本に還付を強いた遼東半島を自ら手に入れた事は、日本国民を憤激させた。
ロシアの背信と野望を打ち砕くために臥薪嘗胆するという決意が固まったのである。


171 :日出づる処の名無し:2007/11/10(土) 14:39:51 ID:pGzKoFcs
☆三国干渉A☆

陸奥宗光外相は冷静に分析し、三国干渉に対して見事な判断を下した。ロシア、フランス、ドイツ、清帝国を相手に戦端を開くわけにはいかないのだ。
陸奥宗光は国民を戒める言葉をのこしている。『我が国民の情熱は、諸事往々主観的判断のみに出でて、全く客観的考察を入れず、ただ内を主とし、外を観ず。進んで止まる事を知らざる形勢なり』
即ち、日本の国力を勘案して、進むべき時と退くべきを見極める事が寛容なのです。
ロシアと戦う決意はこのとき固まったのでした。
当時の日本国民は、もろく敗退した清帝国を軽蔑し中国人を『チャンコロ』と称するようになったのは日清戦争に清帝国が負けた後であった。


172 :日出づる処の名無し:2007/11/10(土) 18:18:12 ID:pGzKoFcs
★北方の脅威ロシア帝国★

ロシア帝国ロマノフ王朝の膨張主義は、蒙古に制服されたロシアが、ロシア民族の安全保障のために、国境を一センチでも遠くの東の方にもとうとして、東へ東へとタタールを追っていった歴史であった。
仮に元冦が樺太を通して北海道へ進出してきていれば、我が国にも蒙古帝国の衰退に従って、ロシアの東漸に似た歴史の発展があったのかもしれない、
当時の北方には、大軍を動かす道路も、これに補給する物資も労務者もなく、朝鮮半島と華南経由が軍隊を動かす唯一の方法でした。
このような地勢学的条件はつい最近までも同じです。
日露戦争の時代でも、戦場はもっぱら朝鮮半島、満州であり、樺太や千島は極めて局地的な部隊間の戦闘しか行われていない。
このシベリアの不毛な地域に膨張主義のロシア帝国が進出してくるのです。

173 :日出づる処の名無し:2007/11/10(土) 18:42:21 ID:pGzKoFcs
★北方の脅威ロシア帝国★

ロシア帝国の進出の動機は、15〜19世紀までの欧州世界の拡大の動機と同じです。
地理的発見、制服略奪と通商の利益が目的です。
近代帝国主義では植民地支配による市場と資源の独占、ひいては輸出市場の独占がその目的となります。
シベリアに関しては、19世紀まではテンやラッコの毛皮ぐらいしか経済的利益は無かったようです。
むしろ、厳寒の地域であることにより、財政的に多大な出費と、多くの犠牲を払いながらもロシア帝国は東へと膨張し拡大していったのです。
ロシア帝国によるシベリア探検は歴史が古く、17世紀にはカムチャツカを越えてアラスカに到達し、1706年にはピョートル大帝の名前でカムチャツカ半島の領有を宣言します。

174 :日出づる処の名無し:2007/11/10(土) 18:59:46 ID:0nwGtvWJ
このスレ面白いね。本読んでるような感じ。
>>1から一気に読んでしまった。


175 :日出づる処の名無し:2007/11/10(土) 19:44:08 ID:pGzKoFcs
>>174

面白いと思って下さるのは実に有り難い事です。
この極東板でさえも、帝国主義の時代から遡って明治維新〜大東亜戦争までの歴史を俯瞰的に見るスレが無かったのは不思議に思っていました。
確かに、ロシアや清帝国、李氏朝鮮の歴史を知りたいと思う人がいなかったのかもしれません。
左翼や特亜の主張は、日本の軍国主義や日本軍、ひいては日本人悪玉論になっています。
私は、その見方の出発点が極東アジアと欧州の文明の衝突である阿片戦争からであることに気がついたのです。
それは特亜や左翼に取って都合のよい歴史の切り取りでしかないのです。
それを、私は、明治維新、大清帝国や中華帝国の成り立ち、朝鮮王朝時代、ロシア帝国などの極東アジアの主要国の歴史を掘り起こしてみることにより、
全く違った見方ができるようになると気がついたわけです。
即ち、日本人や日本軍が一方的に悪者扱いされるのは、欧州の史観に沿っても、中華帝国の史観に沿っても、理不尽であるのです。
強大な清帝国やロシア帝国と戦った大日本帝国。
輝ける明治維新と明治大帝の御治世を、現代の日本人が振り返り、学び、記念する日があってもよいと思うのです。
御助成お願い致します。

176 :日出づる処の名無し:2007/11/10(土) 21:13:13 ID:pGzKoFcs
★力こそ正義の時代★

欧州の列強の一つが、カムチャツカ半島を発見して占有したという事は、競争関係にあたる他の欧州列強にたいしては意味があることですが、カムチャツカの先住民に取っては単なる侵入、不法占拠です。
当時の欧米列強は、キリスト教を信ずる白人以外は、国や民族としての法的な主体として考えていなかったのです。
アジアやアフリカでは『無主の土地』といわれて『発見され』占有の対象とされていたのです。
ロシアのシベリア進出は日本や清帝国、属国朝鮮に取って大きな脅威であったのです。


177 :日出づる処の名無し:2007/11/10(土) 21:19:45 ID:MHugUY3U
意義有り。

ロシアは、欧州、あるいはローマと呼ぶよりも、
ユーラシアと認識、呼称すべきだと思う。

それだけだけど。

178 :日出づる処の名無し:2007/11/10(土) 21:20:41 ID:MHugUY3U
訂正:意義→異議

179 :日出づる処の名無し:2007/11/10(土) 21:58:41 ID:pGzKoFcs
>>177

御指摘の通り、ロシア帝国は東欧から極東アジアにまたがるユーラシアであることに異論は御座いません。
ロマノフ王朝が当時の欧米列強と同じ理屈で領土拡大をしていたと考えて頂ければ幸いです。
極東アジアにおいて、中華帝国を中心とした華夷秩序と、キリスト教をを信じる露、英、米、仏、独などの白人至上主義、近代国際法秩序が激突したわけです。

180 :日出づる処の名無し:2007/11/10(土) 22:01:19 ID:MHugUY3U
いわゆる「白人」を価値観とするのは、
欧州の文化であって、科学的根拠は別問題。

遺伝子の問題と言うよりも、
表現型の問題であって、
それは、東の「我々」にとって、
必ずしも重要では無い。

181 :日出づる処の名無し:2007/11/10(土) 22:49:24 ID:pGzKoFcs
ロシアの樺太襲撃

実は、樺太は日本がロシアよりも先に進出していたのです。
1806年ロシアのフボォストフ海軍大尉の襲撃事件の際に、アニワ湾に松前藩の運上屋と付属施設があったからです。
二年後の間宮林蔵の全樺太探検を待つまでもなく、北部も南部も日本のものだったのです。
例えば、グリーンランドは昔からデンマークの人達がすんでいましたが、そこに、ノルウェーが東部の人の住んでいないところに漁業権、狩猟権を主張してきたのです。
もちろんデンマークは国際裁判に訴えて勝訴します。
しかし、ロシア人はルールを守らないのが大好きな民族ですし、領土欲は世界一です。
フボォストフの樺太襲撃計画の背後にあったロシア側の考えによれば、
『このような暴力的占領は不正にみえるが、日本人の樺太占領だけが正しく、列強諸国による占領は不正であるとは言えない。
樺太の真の所有者であるアイヌの同意を得ればよいのである』だというのです。
フボォストフは上司のレザノフから、日本の物資は分捕る事とするが、船に積みきれない分は土民に分与し、
土民をつとめて丁重に待遇すべしというように、いろいろ原住民を宣撫、懐柔するよう指示を受けています。
林子平は、『三国通覧図説』の中で、ロシア人は『武力、暴力を使わず、寒いと、胡椒と衣服を与えて体を温めさせ、砂糖や良い酒を与えて喜ばせ、
時には大砲を轟かせて威を示し、蝦夷人を懐柔しているそうだ』とオランダ人の言葉を引用して述べています。
もちろん、ロシア人はいったん植民地にしてしまえば、カムチャツカの原住民に対して過酷な対応をしたようですが、そのようなことは帝国主義時代ではどこの国もしていた事なのです。
惜しむらくは、我が国に豊富な資源が眠る樺太があれば、より一層国際競争力のある国になっていただろうと思うのです。
まさに、ロシアに何度も煮え湯を飲まされる歴史は、このときから始まったのでした。

182 :夏彦 ◆z2v1usCPsk :2007/11/11(日) 20:08:43 ID:MtfTaCX1
>>169
イデオロギッシュな歴史解釈などご遠慮願いたいですね。

私は明治節の日、先祖の墓参と近場の神社にお参りしただけですが、天皇さんのスレの方は、本当に明治天皇陵にお参りされた人がいます。


183 :夏彦 ◆z2v1usCPsk :2007/11/11(日) 20:11:18 ID:MtfTaCX1
すみません、改行を忘れていました。

184 :日出づる処の名無し:2007/11/11(日) 21:12:33 ID:32DrzIFl
>>182

恐れ入ります。

伏見の桃山稜に参られた方がおいでのようでしたね。
ありがたき事かぎりなし。
私は、伏見にも明治神宮にも遠いので、神棚に手合わせさせて戴いただきました。
ルバング島から帰られた小野田さんが指摘されていましたが、戦前と戦後の大きな違いは、『日本人が(先人の御苦労に対して)感謝をしなくなってしまった』といわれていたことを思い出しました。
あらためて、明治天皇と賢臣たちの血の滲むような苦労を偲びたいと思います。
ありがとうございます。


185 :日出づる処の名無し:2007/11/11(日) 23:52:27 ID:32DrzIFl
★一度取ったものは離さない。

ソ連崩壊までのロシアの考え方を示すものとして、『一度ロシアの国旗が掲げられた土地においては、けっしてそれが降ろされてはならない』というニコライ一世の言葉があります。
愛軍条約で黒竜江北岸がロシア領となる7年前、ネブェリスコイが6人の船員と一門の大砲を乗せた船で黒竜江を遡って、上陸してロシア国旗を掲げて土地を皇帝にあやかってニコライエフスクと名付けます。
当時のロシア政府は欧州の政情が緊迫していたので、清帝国と衝突することを避けようとネブェルスコイを軍法会議にかけますが、皇帝ニコライ一世が介入して特赦を行っってしまいます。
そのときに発したのがこの言葉です。
当時の欧州では大きな反響を呼び起こしました。
当時の清帝国が本気で軍隊を差し向ければ、ロシア兵6人程度の人数ではどうすることもできなかったでしょうが、
当時の清帝国は太平天国の乱で忙殺され、英仏の介入などによりロシアは漁夫の利を既成事実にすることに成功したのでした。
外交にしろ、軍事にしろ、漁夫の利を狙う事は有効です。

186 :日出づる処の名無し:2007/11/12(月) 21:20:31 ID:rbTXtdoh
★極東進出したロシアが必要としたもの
@大洋への出口の確保と不凍港の獲得
A通商
ロシアは、他の帝国主義国とは違い、経済性を度外視して拡大した版図を維持するための補給の必要性が高かったのです。
19世紀も半ばになると1897年、ニコライ一世がムラブィニヨフを東シベリア総督に任命した時に、
『もし他国がカムチャツカを占領しても、イルクーツクにいる汝は約6ヶ月後にそれを知るであろう』と言ったそうですが、東シベリアにおける交通の不便さや物資の不足は言語に絶する状態でした。
ロシアは早くからペトロパブロフスクやオホーツクを基地としていましたが、必要な物資は、はるばる喜望峰かマゼラン海峡を通り運んでいたのです。
ですから、日本と通商して穀物や補給ができれば有り難いし、当時アジアにおける唯一の西欧の安定した植民地であるルソン島と通商するために、その通り道である日本の港が使いたかったのです。
また、シベリア唯一の輸出品である毛皮の市場である中国との貿易のためにも日本の港を欲しがっていたわけです。
ロシアがシベリアを維持、開発するために日本の開港を迫ったのでした。

187 :日出づる処の名無し:2007/11/12(月) 21:53:54 ID:rbTXtdoh
★レザノフの日本遠征計画★

フボォストフの樺太の松前藩の進出地を襲撃した事件も、実施の段階では独断専行に近いものがありましたが、レザノフの日本遠征計画の一部でした。
その計画によれば、まず樺太を襲撃して日本人を撤退させ、ついで北海道を破壊して、日本の漁業を(北方が漁業の中心と判断していた)
壊滅させ、ついで日本本土の沿岸航路を妨害して海運を途絶させれば、
日本国民は物資欠乏に苦しんで、日本政府の鎖国政策を非難して脅せば、日本はロシアに港湾を開放するだろう。
つまり、北方の日本人入植地を奪取しながら、日本に開港と通商を迫る戦略だったのです。


188 :日出づる処の名無し:2007/11/13(火) 23:40:04 ID:zur0jncU
極東ロシアに取っては日本列島が障害であった。

ウラジオストクのロシア艦隊にとって、有事の際、間宮海峡は浅くて通れず、宗谷海峡、津軽海峡、対馬海峡の三海峡によって封鎖されてしまう可能性があるのです。
1860年に北京条約で沿海州が正式にロシア領になると、もう翌年の61年にはロシア軍艦が対馬に入って対馬藩の制止を排して上陸し、宿舎の建設を強行したり、土地の租借を要求したりします。
結局は英国の軍艦の圧力でやむなく立ち去りますが、このときのロシアの意図は明らかです。
その後、英国が朝鮮の巨文島租借(清の李鴻章の提案で朝鮮が受け入れなかった)を申し出たのも、逆にウラジオストク封鎖の意図からです。
いかに、対馬海峡が戦略的に重要かわかります。
これは現在もあまりかわりがありません。
日露戦争前、終始一貫して対馬海峡の自由航行を日本へ要求しています。
日本としては、自由航行は問題ないのですが、朝鮮半島をロシアが領有するような事になり、朝鮮半島南部にロシア軍港でもできたら、自由航行どころか、安全保障さえ危うくなってしまいます。


189 :日出づる処の名無し:2007/11/13(火) 23:47:01 ID:GWkW/WOH
この状況って、今も変わらないかな。

軍事的には問題あっても、
交易的には解決できそうなもんだけど、
・・・交易を守るのは軍事、って発想だとダメか。

アメリカや英国や、欧州や中東や中国や、
アセアンあたりは、それぞれ、どう思ってんだろう。


190 :日出づる処の名無し:2007/11/14(水) 00:00:59 ID:zur0jncU
★ロシア帝国は朝鮮半島領有を狙っていた★

当時のロシアが朝鮮半島領有を意図していたことは明らかです。
ロマノフの『満州における露国の利権外交史』によれば、ロシア帝国の関係者は、『朝鮮半島はロシア帝国の将来の領土であり、朝鮮半島の南端を日本に譲れば、
ロシアは戦略的にみて朝鮮の最重要の地域を自ら放棄し、自己の行動の自由を束縛するもの』と考えていました。
ウィッテはロシアの遼東半島租借にも反対した穏健派という事になっていますが、ロマノフによれば、ウィッテの考え方は
『ロシアが遼東半島に進出することは支那が反対するであろうが、朝鮮半島に進出するならば、
むしろ朝鮮半島に日本が進出するのを抑える事になるので支那は歓迎するだろうから、朝鮮を平和的に取ったほうがよい』というもので。
日本の抵抗については 『日本の朝鮮経営はいずれ財政的に息が切れるだろうから、シベリア鉄道が完成するまでに日本が朝鮮への出費で無力化(疲弊)していることはロシアが朝鮮を占領するのに好都合だ』と考えていたようです。
ロシアも朝鮮が金になるところとは考えていなかったんですね。
即ち、朝鮮を領有するのは出費がかさむ(損失)が、戦略的には重要という事は、現在もかわりませんね。
日本も大損害でした。

191 :日出づる処の名無し:2007/11/14(水) 00:08:19 ID:jvIZ3HI4
>>189
対馬海峡は戦略的に重要ですよ。
特に、日本、米国、韓国、ロシアですかね。
イギリスや欧州諸国には関係がなくなりましたがね。

朝鮮半島有事になれば、にわかに脚光を浴びるポイントですよ。

192 :日出づる処の名無し:2007/11/14(水) 00:13:12 ID:eMnIZmaW
戦略は、軍事と貿易に関係するから、

ロシアの陸路が海とつながるってのは、
世界的な問題として考えたほうが良いと思うし、
欧州や中東も関係してくる、ような気がします。

トルコ、アフガン、日本、みたいな。

193 :日出づる処の名無し:2007/11/14(水) 00:43:01 ID:jvIZ3HI4
>>192
現代のロシアの極東開発を日本が支援することは国益に資すると思います。
現代ロシアは領土欲はさほど心配いりませんから、貿易立国日本の本領発揮といきたいところですね。
ロシアの資源は魅力的ですからね。
北朝鮮にはレアメタルが豊富にあり、資源高騰に伴う資源獲得競争が朝鮮半島の和解を促す可能性も出てきました。

194 :日出づる処の名無し:2007/11/14(水) 00:52:51 ID:eMnIZmaW
・・・ジレンマです。

195 :日出づる処の名無し:2007/11/14(水) 02:52:33 ID:csjsekkM
最も多いレイプ体位
http://home22.inet.tele.dk/flash/swf/gamemun.swf


196 :日出づる処の名無し:2007/11/14(水) 05:19:26 ID:FuVzsL+Q
レアメタルなんかわざわざ北朝鮮で掘ってくる必要ないだろ。
北朝鮮は他国の気を引くために地下資源を謳い文句にしているが
実はそれほどでもない。
たとえばタングステンなら中国のほうが圧倒的に豊富に持ってる。

197 :日出づる処の名無し:2007/11/14(水) 21:29:08 ID:jvIZ3HI4
>>196

北朝鮮のホラ話ではありませんよ。
米国の資源探査衛星がアルミニウム、モリブデン、マグネサイト、タングスデンなどの埋葬を確認しているようです。
米国は既に資源獲得競争にのりだしてきており、米朝関係が急接近しているのも安くレアメタルを獲得する戦略があるのかもしれません。
北朝鮮を好きな日本人はいませんが、日本には資源がありませんから、米国と足並みを揃えつつ、戦略的な判断をする必要があるでしょう。

198 :日出づる処の名無し:2007/11/14(水) 21:40:00 ID:eMnIZmaW
北朝鮮の資源に関しては、
余禄だけどね。

租界だらけにならんように、
国際的な信用を確立すれば、
将来は必ずしも、暗くない。

199 :日出づる処の名無し:2007/11/14(水) 21:44:45 ID:3B9+Smng
ミサイル国は南チョンと違って
あんまり過去のことにイチャモンつけてこない
核問題と拉致問題が解決できたら日本は韓国などにIMF支援したりせず
ミサイルにすべき。

200 :日出づる処の名無し:2007/11/14(水) 21:51:18 ID:eMnIZmaW
まあ、なんと言うか、

大オヤブン同士のアレもあるし、
いろいろと、ややこしい。

201 :日出づる処の名無し:2007/11/14(水) 23:55:19 ID:jvIZ3HI4
★義和団★北清事変★

18世紀頃、山東省から直隷省にかけて義和拳教という宗教的秘密結社があった。
一種の拳法を使う宗教団体。
日清戦争で惨めな敗北を喫して以来、扶清滅洋をさけんで山東省に反乱をお越し、1900年には直隷省に入って、天津をへて北京に進んだ。
鉄道や電線を破壊し、教会、病院に放火し、外国人宣教師を襲い、外国製品を奪って拝外主義の大暴動となった。
清帝国の実権を握っていた西太后らは、義和団の乱を公然とたすけた。
北京で義和団に包囲された列国の公使館などをはじめ居留民多数を救出するため、日本を含む諸外国は出兵することとなった。
日本軍が8000人と最も多く、次いでロシア軍4500人、英軍3000人、米軍2500人、フランス軍800人、イタリア軍、ドイツ軍、オーストリア・ハンガリー帝国軍などである。
開戦2ヶ月後の1900年8月14日、北京は連合軍に占領され、1901年9月7日に最終議定書の調印となった。
清帝国は海関税及び、塩税を担保に四億5000万両という巨額の賠償金を課せられたほか、北京には外国軍隊の護衛する公使館区域が設けられ、北京周辺の防備は外国軍隊に任された。
中国の半植民地化は加速したのであります。
日本軍は数において連合軍最大であったばかりでなく、最も勇敢で、しかも軍紀が厳正であるという国際的評価を得た。
日本は日清戦争と北清事変により、大いに国威を高めたのでありました。

202 :日出づる処の名無し:2007/11/15(木) 21:13:26 ID:J8SnOMrW
★ロシアの南進★

1898年1月15日、伊藤博文内閣の西徳二郎外相とロシアの駐日公使ローゼンとの間で韓国問題について交渉がはじまり、
四月二五日、ロシアは韓国の独立を確認して内政に干渉しないことを約し、商工業に関する日本の優越を認め、日本はロシアによる旅順・大連の占領を黙認することになった。
ロシアが韓国を日本に一任すれば、満州を日本の利益の範囲外と認めるという西外相の満韓交換論は拒絶されている。
ロシアの膨張政策は1891年からシベリア鉄道の建設が始まったことで本格化し、1896年にはチタとウラジオストクを結ぶ東清鉄道の建設権を入手するまでになった。
ロシアはシベリア鉄道等の陸上ルートで英国の覇権に挑戦しようとした。
ロシア帝国の南進を差し迫った脅威と感じた日本は、英国と結んでロシアに対抗しようとする日英同盟派と、ロシアと協商して国益を守ろうとする日露協商派とに分かれて争った。
両派に共通するのは、陸海軍の軍備を充実することが必要だという一点である。
1896年から陸軍は7個から13個師団へ、海軍は5万トンから20万トンとする計画を着々と推進した。
まさに、三国干渉に対する臥薪嘗胆が始まったのでありました。

203 :日出づる処の名無し:2007/11/17(土) 17:30:30 ID:wmA6i3Nk
★★@日英同盟★★

日英同盟を主張したのは加藤高明、小村寿太郎と元老山縣有朋であった。
彼らの代表として小村外相の考え方をみると、
第一に侵略的なロシアと協約を結んでも恒久的効果がない、
第二に領土的野心のない英国と結べばロシアに対抗でき、通商上の利益が大きい。という二点である。
これに反する日露協商派は、元老伊藤博文と井上馨である。
その理由は、英国と結んでも朝鮮問題を解決できないばかりか、日露間の軍事的衝突を招く恐れが大きい。というものであった。
伊藤はイェール大学の創立200年記念日に招かれ、名誉法学博士の学位を与えられる事になった。
1901年9月18日、伊藤は海路アメリカ合衆国に向け出発した。
3週間後の10月8日、小村外相は駐英公使、林に日英同盟条約について交渉する権限を与えた。
林公使は10月16日、英国のランズタウン外相と会談し、11月6日には英国側の第一次草案が林公使に手交された。

204 :日出づる処の名無し:2007/11/17(土) 18:03:16 ID:wmA6i3Nk
★★A日英同盟★★
日英同盟の背後にドイツの影

ドイツ駐英代理大使エッカルトシュタインは、ビスマルクの辞任後ドイツ外交を指導しようとした野心家であったが。
1901年3月ランズタウン英国外相に会って、英独同盟の可能性を打診した。
日本の駐英公使林が4月17日にランズタウン外相にあったのはエッカルトシュタインの示唆によるという。
ドイツが日本を加えた英独同盟の締結を構想したのは、英国と露仏同盟との間を割くことと、日露の衝突によってロシアの軍事力を極東に向かわせよう、という二点を狙っていたためらしい。
後にドイツはこの構想から抜けた為、第一次世界大戦で袋叩きにあう。
ロンドンの日英交渉が本格的段階に入ったころ、伊藤博文は大西洋を渡って11月13日、パリに着いた。
桂首相は伊藤によって日英同盟が妨害されることを恐れて、伊藤に当ててロシア訪問を断念するよう打電した。
一方小村外相はロンドンの林公使にパリへ出かけて伊藤博文に十分説明し、その賛成を取り付けるよう命じている。
1901年11月15日、伊藤博文は電報で、自分がロシアと意見の交換をとげるまで日英同盟を決定しないよう求めた。
11月20日、桂首相は、日英同盟交渉はもはや離脱できないという理由で、伊藤に対して逆に早くロシアへゆくよう打電している。
11月28日、伊藤博文は皇帝ニコライ2世に会い、12月2日にはラムスドルフ外相と、そして翌三日にはウィッテ蔵相と会談した。
伊藤はラムスドルフとの会談で朝鮮半島について妥協点を探ったが、結局実を結ばなかった。


205 :日出づる処の名無し:2007/11/17(土) 18:23:19 ID:wmA6i3Nk
★★日英同盟★★

★明治大帝の御聖断下る★

桂首相は1901年12月7日、山縣有朋、西郷従道、井上馨、大山巌、松方正義の五元老と小村寿太郎外相、山本権兵衛海相、の二人を招き、葉山の長雲閣で日英同盟を決定した。
12月9日には閣議が開かれ、翌日に明治大帝の御聖断が下った。

1902年1月30日、ロンドンで調印された第一回日英同盟協約は全文六箇条、海軍の協力に関する附属書簡一通よりなっている。
要点は次の通りである。
第一条 日英両国は、清帝国及び韓国の独立を承認し、英国は清帝国において、日本は清帝国及び韓国において、特殊権益を有するので、第三国によりこの利益を侵害される場合は、必要な措置を取る。
第二条 日英両国のいずれか一方が、右の利益を防護するため、第三国と開戦した時は、他の同盟国は、厳正中立を守り、他国の参戦防止に努める。
第三条 右の場合にもし、たの一国または数国が、その同盟国に対し、交戦に加わる時は、他の同盟国は来援し、共同作戦に当たる。

第六条 本協約の有効期間は五カ年とする。


206 :日出づる処の名無し:2007/11/17(土) 19:48:09 ID:wmA6i3Nk
明治大帝御製

もみぢ葉の赤き心を靖国の神のみたまもめでてみるらむ

207 :日出づる処の名無し:2007/11/17(土) 21:37:03 ID:wmA6i3Nk
★@優れた大日本帝国の指導者★

◎明治大帝と賢臣◎
日英同盟の成立にいたる日本国内の政治過程には、注目すべき変化が見られる。
明治大帝の御信任厚い元老の中でも、第一人者であった伊藤博文が、日英同盟については終始消極的で、反対派といってもよかった。
ロシアとの戦争を極力避けるという立場から、伊藤は日露協商のほうに傾いていた。とうてい勝てる見込みが無かったからです。
桂首相は伊藤より六年後輩であり、元老ではなかったが、伊藤の意志に反して強引に日英同盟交渉を推進した。
桂首相を支えたのは、加藤高明と小村寿太郎との二人の外務大臣である。
加藤は1860年生まれであるから、伊藤より、19年も若く、1881年7月に東京帝国大学法学部を卒業して三菱に入り、1887年に外務省に転じ、政務局長をへて1894年11月、駐英公使に任じられている。
1898年3月にロシアの南下に対抗するため日英同盟を結ぶ必要があると上申した。
小村寿太郎は1855年生まれで加藤より5年年長であるが、外務大臣になったのは加藤のほうが一年早い。
小村は藩閥に属さないこと、大学南校に学んだ後、文部省留学生としてハーバード大学で勉強した点、加藤高明とともに新しい指導者である。
日英同盟か日露協商かで国論が割れた際、元老山縣有朋は63才、伊藤博文は60才である。
まだ老化が進んだとはいえないとしても、加藤高明や小村寿太郎のような40代の進出に比べれば、往年の指導力は低下していたのかもしれない。
日本が危機を迎えたのが、元老たちがまだ甚だしく老化せず、新進の政治・外交家が続々登場していた時代であった事は幸運であった。


208 :日出づる処の名無し:2007/11/17(土) 21:44:51 ID:wEWMoYWh
お、>>1さん来てるね。
楽しく拝見させてもらってます。

209 :日出づる処の名無し:2007/11/17(土) 21:46:55 ID:wmA6i3Nk
★A優れた大日本帝国の指導者★

◎明治大帝と賢臣◎
もう一つ注目されるのは、元老たちの団結の強さである。
日英同盟問題で伊藤と井上馨とは一時孤立したように見えたが、一旦日英同盟協約の締結に決すると、伊藤も井上馨も全面的に協力している。
これをロシア皇帝をめぐる専制政治の不安定さと比べれと、優劣は自ずから明らかである。
不完全であるとはいえ、日本は明治大帝を中心とする立憲政治に徹し、元老は一致して明治大帝を補佐した。
これに反してロシア皇帝の専制君主ニコライ二世は、気まぐれで、精神の安定さを欠き、君徳に乏しかった。
ドイツ貴族出身の皇后アレキサンドラや寵臣の影響を受けやすく、近代国家の指導者とはいえない。
宮廷内の勢力関係に左右されるツァーリ(皇帝) の寵愛をめぐって、ロシアの内政と外交は揺れ動いた。

210 :日出づる処の名無し:2007/11/17(土) 22:10:49 ID:wmA6i3Nk
>>208

お疲れ様です。
あらためてロシア帝国、清帝国、朝鮮王朝の指導者が、いかに自らの国民を全く無視した政を行い、好き勝手をしていたかが浮き彫りになってきています。
ロシア皇帝、ニコライ二世、清帝国、西太后、朝鮮王朝、王妃一族の政治はムチャクチャだったのです。
それに引き換え大日本帝国の明治大帝と賢臣は国家国民を案じ、国家の行く末に先見の明を持って一致団結して国難にあたっていたかが理解できます。
有史依頼、自ら倹約して国民に範を示され、日露戦争や日清戦争という未曾有の国難にあたった皇帝は明治大帝以外おられないと思います。
しかも、ロシア、清帝国は、日本の国力、国土の何十倍もある世界の強国であり、誰もが日本が勝つとは予想しなかった戦いを快勝してしまったわけですから。
私は真面目に明治大帝を現人神だと思います。
現代の指導者も明治大帝の御治世と賢臣に学んで欲しいと思います。


211 :日出づる処の名無し:2007/11/17(土) 22:51:50 ID:wmA6i3Nk
○日清戦争の勝利がなければ日英同盟は無かった○

日本が日清戦争で勝利していなければ、日英同盟は無かったといわれています。
イギリスに取っては、日本でも清帝国でもよかったようです。
何より、ロシアと覇権争いをしていましたので、極東での大英帝国の弱点を補強する為に極東での軍事バランスを保つ為のパートナーを欲していたのです。
当時、ロシアはドイツとフランス、特にフランスと仲良くしていましたので、欧州の独仏の動きを注視していました。
ですから、極東で一番頼りになる国と結べばよいわけで、清帝国になる可能性も充分あったのです。


212 :日出づる処の名無し:2007/11/17(土) 23:04:34 ID:wmA6i3Nk
★最後まで清帝国寄りだった大英帝国★

日清戦争の最後、勝敗が決まるギリギリまでイギリスは清帝国寄りでした。
日本が勝っても中立だったのです。
その後、大英帝国が日英同盟へと踏み切る動機になったのは、三国干渉を受けて大日本帝国が明治大帝の御聖断の下、賢臣、臣民が一致団結し、臥薪嘗胆で海軍力を増強した結果、大英帝国の認める所となり、大日本帝国との同盟を選択するに至ったのです。

213 :日出づる処の名無し:2007/11/17(土) 23:25:04 ID:wmA6i3Nk
◎日英同盟締結に日本国中がわき返る◎

日本国内には、日英同盟が超大国ロシアを刺激し挑発するのではないかと恐れる向きもあったが、大半の日本人は、日英同盟締結を大変喜んだ。
社会主義運動家の山川菊栄女子は、府立第二高等女学校の出身で回顧録の中で当時の様子を書いています。
学校で日の丸とユニオンジャックをクロスして飾って、君が代とゴッド・セーブ・ザ・キングを歌ってお祝いした、と。
福沢諭吉先生は自ら発刊していた『自由新報』で、『世界最大の七つの海を支配している大英帝国と同盟を結んだ。これは夢か夢にあらざるか。いや、夢にあらざるなり』と記しています。
締結までには、政府関係者の間でいろいろ議論があったようですが、日英同盟締結後は、日本国中が喜びでわき返る様子が伝わってきます。
『やっと世界の一等国になった』という感じではなかったのではないでしょうか。
とにかく当時の日本は弱小国でしたから、ロシアは歯牙にも掛けない感じです。
当時の在日ロシア大使館の駐在武官は『日本との戦争は軍事的散歩にすぎない』と言っています。
周りの国もイギリスも含めて、日本がロシア帝国に勝つ事など予想もしていなかったのですから。

214 :日出づる処の名無し:2007/11/18(日) 01:12:34 ID:R3tvxbHs
明治大帝御製

つはものの戦ふさまを見るほどは 風の寒さもおぼえざりけり

215 :日出づる処の名無し:2007/11/18(日) 01:45:50 ID:xZo61JgO
現状における英国と、
アメリカの意向が知りたいなぁ。

もちろん、
一つの意見しかないとは、
まったく思わないけど。

216 :日出づる処の名無し:2007/11/18(日) 12:40:55 ID:R3tvxbHs
★日露戦争当時の日本とロシアの国力比較★
大日本帝国よ巨大な敵を討て!

国土面積、約54、7倍
日本161198平方マイル。ロシア8660395平方マイル
人口、約3、1倍
日本45426651人、ロシア141000000人

歳入、約7、3倍
日本286489438円、ロシア2081175000円
歳出、約6、9倍
日本289226626円、ロシア1986712000円


217 :日出づる処の名無し:2007/11/18(日) 13:00:02 ID:R3tvxbHs
☆巨大な敵ロシアを討て☆

超大国清帝国を打ち破った我らが大日本帝国陸海軍将兵は、つかの間のその勝利の美酒に酔っていた。
だが、日清戦争はあらたなる超大国ロシアとの戦いを将来したのである。
次なる戦争の相手となったのはユーラシア大陸全体に広大な領土をもち、当時世界最強の陸軍と称されたロマノフ王朝のロシア帝国であった。
半ば絶望的なこの戦いに勝つため、大日本帝国はどの様な対策を講じたのであろうか。


218 :日出づる処の名無し:2007/11/18(日) 13:36:29 ID:R3tvxbHs
☆三国干渉時の日露仏独海軍兵力☆

一等戦艦(排水量一万トン以上)日本0、露10、仏18、独4
二等戦艦(排水量七千トン以上)日本0露8、仏13、独7
三等戦艦(排水量七千トン未満)日本0露0、仏6、独11
一等装甲巡洋艦日本0露10仏14独0
二等巡洋艦日本7、露2、仏25、独9
三等巡洋艦日本6、露3、仏31、独15
合計、日本13隻、露33隻、仏107隻、独46隻
当時の日本海軍力は露仏独の7%程度で、戦争になれば到底勝ち目がなく、日本は三国干渉を受け入れざるを得なかった。
露仏独の利害が一致した三国干渉

遼東半島還付勧告を提案したのはロシア蔵相ウィッテで、皇帝ニコライ二世も支持し、更にドイツはロシアが極東に関心を持てば自国が安全になると考え、皇帝ウィルヘルム二世はニコライ二世に手紙を送りロシアに同調、フランスも中国の権益を守るため下関条約に反対した。



219 :日出づる処の名無し:2007/11/18(日) 18:51:28 ID:R3tvxbHs
明治大帝御製

軍ふね造るところもみてゆかむ
呉の港にしばしとまりて

220 :日出づる処の名無し:2007/11/18(日) 21:01:59 ID:R3tvxbHs
☆@超大国ロシア帝国に対抗するための『六六艦隊』建設計画☆

三国干渉は日本国民に国防力不足の警鐘を乱打した。
国際問題に対するいかに道理至当な要求であっても、実力を伴わなければ空論に終わることを実物教訓で示され、日本は軍備の大拡張を開始した。
陸軍は近衛と六個師団の計七個師団の兵力を、一躍近衛と十二個師団に拡張する計画を立てた。
一方、海軍は艦艇の近代化と兵力の増強をはかる画期的な計画を定めた。
それは西郷従道海相の指示を受け、軍務局長・山本権兵衛少将が次のような構想により立案したものだった。


221 :日出づる処の名無し:2007/11/18(日) 21:34:02 ID:R3tvxbHs
☆A超大国ロシア帝国に対抗するため『六六艦隊』建設計画☆

1、攻撃力と防御力のバランスのとれた軍艦を建造する。従来、船体部の防護に比べ、過大な大砲をつんだ艦が見受けられた。
2想定敵国の第一はロシアで、これが一国またはほかの一国と連合して東洋に派遣しうる艦隊の勢力程度予想し、これに優る艦隊の整備を軍備の目標とすること
3、保有すべき艦艇の隻数は、主力艦隊が甲鉄戦艦六隻、一等巡洋艦六隻、別にこれが補助として巡洋艦以下の所要の隻数を準備する。
これがいわゆる『六六艦隊』であった。
山本の構想は単に艦艇建造の正面軍備だけではなく、これにともなう鎮守府、軍港などの水陸基地、造修施設の整備拡充、人員の拡張、教育などの諸制度の改革にまでおよんだ。


222 :日出づる処の名無し:2007/11/18(日) 21:52:30 ID:2TBeQERd
陸は電話、海はインターネットだよ。
昔は、すべて電話だったけど。

223 :日出づる処の名無し:2007/11/18(日) 22:35:01 ID:R3tvxbHs
明治大帝御製

かぎりなき世にのこさむと国のため
たふれし人の名をぞとどむる

224 :日出づる処の名無し:2007/11/19(月) 20:38:34 ID:r8dwUh92
☆日の沈むことなき大英帝国@☆

●日英同盟の裏側●
大英帝国が『名誉ある孤立』から日英同盟に踏み切った理由は、なんと驚嘆すべき事実だが、世界中の海軍が束になってかかってきても勝つ見込みがなくなったからだというのだ。

1901年のセルボーン海相こ覚書によると、当時の大英帝国の戦艦四十五隻、露仏合計四十三隻、五年後には五十三隻ずつの同数という見込みで、世界中の海軍が束になってかかってきてもよいという時代は過ぎた、との事です。
ロシアが極東に新造の戦艦、巡洋艦を優先的に回航させ、1901年に一挙に二隻増派したときには、大英帝国は地中海からやっと一隻を極東へ送りますが、それ以上の余裕はなく、極東の軍事バランスは、戦艦で英5、露5、仏1、装甲巡洋艦で英2、露6、仏1、と劣勢になります。
ここで戦艦6、装甲巡洋艦4を有する日本が英か露仏のどっちにつくかが重大な意味を持ってきます。


225 :日出づる処の名無し:2007/11/19(月) 20:56:51 ID:r8dwUh92
☆A日の沈むことなき大英帝国☆

●日英同盟の裏側●
日英条約は、大英帝国の閣議では難航しますが、その際ビーチ蔵相はランズタウン外相に対して、『この条約から何らかの利益が得られるとすれば、それは大日本帝国の海軍であり、大英帝国海軍の負担を軽減するということだ』と書き送っています。
日露戦争直前の情勢判断でも、セルボーン海相は『ロシア帝国海軍が勝つと、極東の海軍バランスは大英帝国にとって不利になり、海軍費の増大を意味する』と懸念します。
これに対してバルフォァ首相は、『ロシアが勝っても艦隊は消耗するだろうし、ロシア艦隊は日本とにらみ合いを続けるから欧州には使えないだろう』と冷静な判断を下しています。
大英帝国は強力なロシア艦隊を極東に貼り付けるためや、極東での軍事バランスを保つ為に日英同盟に踏み切ったのでした。


226 :日出づる処の名無し:2007/11/19(月) 21:03:48 ID:RUNcUT1O
世界一すばらしい軍隊大日本帝国軍

「皇軍は装甲に守られてはならない!」→戦艦の装甲が薄くなりまくる。
「皇軍は戦車などいらない!」→ノモンハンにてソ連製BT戦車に苦しまされる、WW2時には超時代遅れの糞装甲戦車で戦うハメに。
「皇軍は進撃しかしてはいけない!」→撤退を禁止しまくる、将校などはとっとと逃げて兵士は島で戦うハメに。
対戦車兵器が無く、三式刺突地雷という肉弾兵器で戦う、しかしまったく効果なし。
航続距離を上げるために機体の大半を燃料タンクに、米軍からは「ワンショットライター」と呼ばれた
本土決戦用に竹やり(笑)ボウガン(笑)を用意したのは有名。
プロパガンダだらけで共産国家並(一台の戦車を合成で大量の戦車部隊に見せかけたり)
自称アジア解放はいいものの、中国で反抗され、ベトナムでも反抗される。
インドまで侵攻(インパール作戦)したはいいものの、補給線が適当だったためボロ負け。
無敵皇軍をモットーに、意地のみで戦ったために、広島長崎に原爆を落とされるまで降伏をしようとしなかった
ロシア革命直前でロシア国内でも超不人気だった戦争に勝ち、狂気乱踊する馬鹿集団

227 :日出づる処の名無し:2007/11/19(月) 21:29:09 ID:r8dwUh92
☆日英同盟☆

●日本が踏み切った背景●
桂首相の考えを引用
『明治34年6月に総理を拝命し、7月に在英大使の電信で日英同盟の話を聞いた。
…日清戦後、露に親しむの論と英に近づくの論とがいろいろあったが、親露論はロシアに敵対することはとうてい不可能だということによる一時的平和論であって、
維新以来の苦しい経験を考えればまんざら無理でもない考えである。
しかしロシアは満州を取れば韓国にも手をだし、いずれは日本と衝突せざるをえず、さもなければロシアの言うがままに屈従するしかない。
英国は損得勘定で日本と親善をはかるもので、すでに全世界に領土をもち、日本と戦ってまで日本の領土を取る気はないのだから、英国の要請に応じるのが得策であろう』という趣旨です。
現代にも通じる戦略です。アメリカ合衆国は領土的野心はないが、中国、北朝鮮、ロシア、韓国は領土的野心がありありだからだ。
領土的野心のない米国と同盟を結ぶのは自然な成り行きなのです。

228 :日出づる処の名無し:2007/11/19(月) 21:47:35 ID:r8dwUh92
>>226

明治以降、自国の歴史を否定する啓蒙史学の虜に…
前の時代を否定する見方は、フランス革命以後の啓蒙史学に共通する特徴です。
明治維新のとき、東京帝国大学の全身の東京医学学校教師に、ドイツ人のベルツ博士がいましたが、彼は、日本の優れた文化に興味を抱いて、日本の歴史を学ぼうとしたのです。
そして医学部の同僚の日本人に『日本の歴史について、英語かドイツ語で書かれたいい本はないか』
と尋ねたところ、その同僚は『いや、我々には歴史はありません。これまでの歴史はひどいものでした。歴史はこれからはじまります』と言ったというのです。
それでベルツは『自国の歴史を、かくも軽蔑する民族は可哀想だ』と。
ベルツのコメントは立派ですね。

229 :日出づる処の名無し:2007/11/19(月) 22:04:25 ID:r8dwUh92
>>226
先の大戦で命を落とした大日本帝国陸海軍将兵を犬死にだとする説は左翼の歴史家の主流を占めています。
しかし、自分の国が危機に瀕しているときに、自国のために生命を捧げるのは、
その国に生まれ、その国の文化伝統の中に育ち、日本人であるという意識がアイデンティティの核になっているかぎり、
そしてその国家の一員として利益を享受してきた以上、戦争目的がどうであろうと当然なことである。
とくに戦局が不利なったときに、一命を捧げて、国家の危機に殉ずるというのは尊敬すべきたいどである。
この自明なことを無視し続けてきた点に戦後日本の大きな問題がある。


230 :日出づる処の名無し:2007/11/19(月) 22:15:39 ID:r8dwUh92
明治大帝御製


及ばざる 事なおもひそ うつせみの
みはほどほどのありけるものを

231 :日出づる処の名無し:2007/11/19(月) 22:19:56 ID:OVUh4g3L
左翼は正しい平和主義だ!! 日本列島は日本人だけの物じゃない!!
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232 :日出づる処の名無し:2007/11/19(月) 23:00:45 ID:r8dwUh92
明治大帝御製


雪に耐え 嵐に耐へし後にこそ
松の位も高く見えけれ

233 :日出づる処の名無し:2007/11/19(月) 23:43:21 ID:r8dwUh92
振天府(しんてんふ)
15世紀の半ば、太田道灌が築いた『江戸城』は徳川15代の『千代田城』となり、明治維新で天皇が京都から移ると『皇城』のちに『宮城』となり、戦後は『皇居』と四度名をかえている。
初代の主の明治大帝は、自ら御親兵の調練を執るかたわら一万首の短歌を残す文武両道の皇帝で、西南戦争、日清戦後、日露戦争などの陣頭指揮もした。
戦時中は賢所に武神を祀って戦争の勝利と出征将兵ね武運長久を祈願したが、日清戦後が勝利をおさめるとその記念館を宮城内の紅葉山に建てた。
これが明治29年10月に新築された『振天府』である。
戦いに勝って次つぎに凱旋した将兵たちは、天皇に戦勝報告を上奏しる際に多くの戦利品を献上した。
黄竜の軍旗、敵将の鞍、剣、銃などである。
このとき明治大帝は、『皆わたしの将士が血を流し屍に枕して得たものである。これを後世に残さなければならない。
自分の子孫たちもこれを見て、いつまでも清帝国と戦った忠義な将士を知って欲しい』という趣旨で、この記念館を建てさせた。
木造平屋の建物で陳列された戦利品のほか、戦争で倒れた将兵の武勲を称え、
追悼するために壁には将校以上の戦死者の写真の額を掲げ、床には下士官兵の戦死者の階級と氏名を残した巻物が積まれていた。
明治大帝は平和時もしばしば足を運ばれたばかりでなく、皇太子(大正天皇)をはじめ皇族の子弟や宮中に参内する文武官に拝観を命じた。

234 :日出づる処の名無し:2007/11/20(火) 00:54:59 ID:qy8S0nNc
明治大帝御製


たいらかに 世はおさまりて国民と
共に楽しむ春ぞうれしき



235 :日出づる処の名無し:2007/11/20(火) 20:07:44 ID:qy8S0nNc
明治大帝御製

秋ごとに匂ふ白菊もろ人と
共に観るこそたのしかりける

236 :日出づる処の名無し:2007/11/20(火) 21:15:39 ID:qy8S0nNc
☆頼りになる大英帝国☆
明治大帝の賢臣達の戦略的発想(資金調達を見込んだ同盟)
戦争は個々の戦闘員の能力、勇気だけで勝てるものではありません。
武器、弾薬、糧食が要り、それに先立つ資金が必要です。
日露戦争は、国民の税負担は限界点を越え、英米における外債の調達なしでは戦い抜く事はできなかったのです。
大英帝国との同盟は当時の世界では他に得られない高い対外信用を日本にあたえています。
実は、そのことを小村意見書の中で小村寿太郎は計算に入れて指摘していました。
そうやって、やっとの思いで資金を調達しますが、ポーツマス条約の直前に戦争継続の可否を問われた曾禰蔵相や松方、井上などの元老は、もうこれ以上軍事費のだしようがないと断言するぐらいギリギリの戦いだったのです。
つまり、アングロサクソンの財政的な後ろ盾なしでは資金不足になっていたのでした。

237 :日出づる処の名無し:2007/11/20(火) 21:40:56 ID:qy8S0nNc
☆A頼りになる大英帝国☆

大英帝国で建造中のチリ戦艦二隻をロシアが買い付けようと画策します(民間の造船所)。
しかし日本がモタモタしているのを見てとると、大英帝国は即金で自国用に買ってしまいます。
また、イタリアで建造中の巡洋戦艦二隻については、大英帝国は大日本帝国にいち早く情報提供をして、ロシアより一足早く日本に買わせます。
大英帝国の介入がなければ、ロシアは開戦時、戦艦と巡洋艦で日本より差し引き6隻多かったはずです。
これもまた日本の勝利に貢献します。
現に、この二隻の巡洋戦艦『日進』と『春日』は日露戦争を通じて大活躍します。
また、日露戦争の日取りも、『日進』『春日』の回航を待ったという説もあり、その回航の途次、開戦するが早いか沈めようとロシア艦隊が追尾してくるのを、大英帝国の海軍が英国人乗組員の保護を口実に、間に入って護送してくれたのです。
そのほかにも、あらゆる世界中の情報をイギリスから提供を受けたのでした。
同盟から日本の弱点である財政と情報の支援を受けたのです。

238 :日出づる処の名無し:2007/11/20(火) 23:58:53 ID:q51jG5EL
・・・ロシアの資源は、
魅力的なんですけど。

239 :日出づる処の名無し:2007/11/21(水) 00:24:37 ID:h7Ro3j0/
大正天皇があのような病状だったので、軍部も政府も昭和天皇すらも
自分らの意向で担ぎ上げられると思い込んで暴走。
結果、陛下に嘘八百の戦況報告を垂れ流し終戦の時期を遅らせたわ
けですが。戦後、昭和天皇の軍幹部に対する嫌悪感と靖国参拝拒否
のいきさつが侍従や侍従長の手記で明らかにされているが、そこは無
視して合祀賛成と言っている連中がどの口で天皇陛下万歳と言ってい
るのか理解に苦しむ。
自分は、自分の祖父母が昭和天皇と同じ時代を生き、自分自身も昭和
天皇のお人柄と戦後復興のため全国を周られた御姿を当時の映像など
で知り、自分なりの尊敬の念を持ち分祀すべきだと思う。

なんで昭和天皇の御気持ちを汲まずにただ「天皇陛下万歳」を垂れ流す
連中がいるのか不思議だな。


240 :日出づる処の名無し:2007/11/21(水) 08:31:09 ID:BepiZdbR
日本人は本当に頭がどうかしてるな。
日本がだれのおかげで戦争に勝てたと思ってるんだ?
韓国人のおかげだってことがわかってないようだね。
世界で最も優秀な民族である韓民族!
世界で最高のIQをもつ韓民族のおかげだということを肝に銘じろ。


241 :日出づる処の名無し:2007/11/21(水) 11:56:33 ID:YxOK8qJN
チョンコのせいで戦争に負けたんだよ。
世界一IQの低いチョンが勘違いしてやがるぜ。

242 :日出づる処の名無し:2007/11/21(水) 15:30:53 ID:HC4SuxN0
>>241
斜めだよ!!





243 :日出づる処の名無し:2007/11/21(水) 17:29:10 ID:31opii+V
>>241
その理論だと東条秀樹も辻も栗田も全員朝鮮人になるな

244 :日出づる処の名無し:2007/11/21(水) 18:30:29 ID:WLVE1qSZ
>>238

樺太が日本だったら今頃資源で苦労していなかったでしょうね。
惜しい事をしました。

245 :日出づる処の名無し:2007/11/21(水) 18:35:55 ID:rzDBgyaM
いや、貿易できりゃ問題ないけどね。

246 :日出づる処の名無し:2007/11/21(水) 18:42:39 ID:WLVE1qSZ
>>245
ロシアは建国以来、約束守らないので有名ですからね。
確か、サハリンで欧米と日本の三井物産の合弁でガス田だったか油井を開発していたんですが、
開発し終わり、輸出を始めようとしたら、ロシア政府が環境問題を起こしているとかケチつけだして、半分株式をよこせといいだしたんです。
ロシアは約束を守らないからあてになりません。

247 :日出づる処の名無し:2007/11/21(水) 18:48:53 ID:rzDBgyaM
それは、今後も繰り返される、
と思うよね、普通。

日本がロシアの資源開発に協力しても、
収穫を得る時機が来ると、取り上げられる。

結局、日本は詰んでるんじゃないか。
力で奪うしかないなら、国是として対応できない。
だったら、内向きの努力に尽力するしかない。

248 :日出づる処の名無し:2007/11/21(水) 19:09:48 ID:WLVE1qSZ
>>239
靖国神社は宗教法人ですから、分祀や合祀は靖国神社がお決めになられます。
私は昭和天皇のお人柄も存じ上げておりますが、私は明治大帝の大御心に心を致すべきと考えております。
何より、明治大帝の御治世と賢臣達に学ぶ事が肝要であると確信いたしております。
そもそも、明治大帝の思し召しにより靖国神社が建立された経緯があり、孫にあたる先帝陛下や今上陛下が参拝あそばされない事は、誠に畏れ多い御ことと存じ上げます。
振天府(戦死した将兵を祀る)に皇太子殿下(後の大正天皇)を参拝させた明治大帝がご存命あらせられれば、かくのごとき事はなきものと思われます。
日本人が輝いていた明治大帝の御治世こそ、範とすべきなのであります。

249 :日出づる処の名無し:2007/11/21(水) 19:13:41 ID:WLVE1qSZ
>>247
尖閣諸島に資源があるんですから、早期に開発をするべきだと思います。
中国に遠慮している場合じゃない所まできていますから。

250 :日出づる処の名無し:2007/11/21(水) 19:16:13 ID:rzDBgyaM
でも、中国も必死だわな。
当事者間では、危ない話になりかねない。

第三者の立会いが欲しい。

251 :日出づる処の名無し:2007/11/21(水) 19:24:15 ID:WLVE1qSZ
>>250
仰る通り。
米英のメジャーであるシェルとかBP、エクソンモービルと共同開発するのが良いのです。
英米は自国民の保護には軍隊をは派遣しますから。
中国には、北清事変の再来を呼び起こしてやればよいのです。

252 :日出づる処の名無し:2007/11/21(水) 19:36:45 ID:WLVE1qSZ
日章旗、星条旗、ユニオンジャックの必勝パターンで中国にあたれば、支那は尻尾をまいて逃げていきます。
支那には連合軍で征伐するのが良いのです。
インドを加えるのも良いのですね。
二正面作戦では中国は絶対しかけてこれませんから。



253 :日出づる処の名無し:2007/11/21(水) 20:08:49 ID:WLVE1qSZ
明治大帝御製

秋の夜の月は昔にかはらねど

世になき人の多くなりぬる

254 :日出づる処の名無し:2007/11/21(水) 20:10:57 ID:rzDBgyaM
バランスから言うと、
一方的な関係は、好ましくない。

双方にとって、頭の上がらない相手と言うか、
尊重すべき相手が関係していないと、不満が出る。
それは、良くない。

第三者には、仲介による利益の代わりに、
公平な判断、立場を求めたいから、
偏らないように、まあ、工夫が必要かも。

255 :日出づる処の名無し:2007/11/21(水) 20:24:10 ID:WLVE1qSZ
>>254
外交は力関係ですからね。
何より、中国におされっぱなしの日本政府は不甲斐ない。
資源の無い我が国にとっては尖閣諸島域の資源は貴重です。
中国が不当に開発し、我が国の資源を横取りをしている現状を改善しなければなりません。
躊躇し、話し合っているうちに資源が枯渇してしまいますよ。

256 :日出づる処の名無し:2007/11/21(水) 20:24:57 ID:rzDBgyaM
じゃあ、それを見込んで代替資源を開発するしかないですな。

技術は、分けても減りませんし。

257 :日出づる処の名無し:2007/11/21(水) 20:38:28 ID:WLVE1qSZ
>>256

資源や国土を支那に譲る必要性は全くありません。
確か、日本も独自開発する旨、支那に伝えた所。
支那は、それならば軍艦を出すと日本政府を脅したようです。
ここで引き下がっては、後世に禍根を残すことになりましょう。
米英と共同開発が上策、ブラジルやインドと共同開発が中策、支那と共同開発が下策だと思います。
独自開発も下策です。


258 :日出づる処の名無し:2007/11/21(水) 20:48:38 ID:rzDBgyaM
技術の独自開発は、まったく問題ないと思いますが。

配慮さえすれば。

259 :日出づる処の名無し:2007/11/21(水) 20:59:25 ID:WLVE1qSZ
>>258
日本は、天然ガスや石油以外の代替燃料の開発は最先端技術を既に持っています。
木材や雑草や建築資材などの廃材からエタノールを作る技術や太陽光を電気に変える技術、海の温度差を利用した発電など、注目される技術が盛りだくさんです。
原子力発電も三菱電機、日立製作所、東芝はそれぞれ世界三大グループに属しているぐらいです。
しかし、尖閣諸島域の資源は別ですから。

260 :日出づる処の名無し:2007/11/21(水) 21:03:57 ID:rzDBgyaM
国家の意地なら、軍隊が必要ですな。

261 :日出づる処の名無し:2007/11/21(水) 21:05:10 ID:0ocUSeuR
>>1
対米敗戦記念日つくらにゃあかんから終戦ではなく

262 :日出づる処の名無し:2007/11/21(水) 21:09:54 ID:WLVE1qSZ
>>260
支那も戦争をしたくはないのですから、脅しにビクついていては、全てを失ってしまいます。
台湾海峡問題で米艦隊の空母に沈黙した支那海軍ですから、制海権と制空権のあるうちに、英米と組んで資源開発したいところです。
ルールを厳守し、領土的野心の無い英米とは日本人は相性が良いのですから。


263 :日出づる処の名無し:2007/11/21(水) 21:13:19 ID:rzDBgyaM
それでは、中国に不利すぎませんか。
感覚的不公平は、反動を招くと思いますが。

英米には、むしろ参加してもらいたいですが、
中国にとっても納得できる相手、というのは、
必要だと思います。

264 :日出づる処の名無し:2007/11/21(水) 21:15:18 ID:zVLe+Y8F
-──- 、   _________ 
    /_____ \ >            | 
    |/⌒ヽ ⌒ヽヽ | ヽ > _______  | 
    |  / | ヽ  |─|  l   ̄ |/⌒ヽ ⌒ヽ\|  | 
   / ー ヘ ー ′ ´^V  _ |  ^| ^   V⌒i 
    l \    /  _丿  \ ̄ー ○ ー ′ _丿 
.   \ ` ー ´  /     \        / 
      >ー── く      / ____ く 
    / |/\/ \       ̄/ |/\/ \    同じスレではこのままだけど 
    l  l        |  l      l  l        |  l    違うスレにコピペするとスネ夫がドラえもん 
    ヽ、|        | ノ      ヽ、|        | ノ     に変わる不思議なコピペ 



265 :日出づる処の名無し:2007/11/21(水) 21:39:20 ID:WLVE1qSZ
>>261
我が国は、既に日米同盟を結んでおり、我らが陸海空自衛隊は、米国陸軍、海軍、空軍、海兵隊の四軍と頗る良好な連携を持っております。
先の大戦において不幸にも矛を交えた両軍将兵には両国共に敬意を払っており、国難に於いて一命を投げ打って国に殉じる気持ちは両国ともに同じであります。
ここに謹んで哀悼の意を表し、両軍将兵の御霊の安らかならん事をお祈り申し上げます。
世界一位と二位の経済力を擁する日米同盟は、最も重要な関係であると両国共に認識しておるところであります。
我が国にとって先の大戦の終戦記念日は、あまたある戦争の一つに過ぎず、先輩諸子の御苦労に我々が感謝の念を捧げる日である考えております。
あらためて、先輩諸子大して感謝申し上げます。
ありがとうございます。


266 :日出づる処の名無し:2007/11/21(水) 21:49:15 ID:WLVE1qSZ
>>263
私は既に申し上げました。
英米と組んで共同開発が上策
インド、ブラジルと組んで共同開発が中策
独自開発と支那と組んで共同開発が下策です。
インドは中国を仮装敵国としていますし、ブラジルは資源大国ですから、中国にとっても良いお客様ですので失いたくない国です。
中国の弱点を突く戦略が求められます。

267 :日出づる処の名無し:2007/11/21(水) 21:57:51 ID:rzDBgyaM
了解、了解。
それは、納得です。

268 :日出づる処の名無し:2007/11/21(水) 22:49:22 ID:R8F/3kD/
>>241
世界一IQが高いのはホントだぜ?
ただ、IQテスト用の勉強するってのも、世界で韓国だけだろうけど…
日本もゆとり教育前は、IQ110で世界一だったんだけどね。


269 :日出づる処の名無し:2007/11/21(水) 23:18:57 ID:WLVE1qSZ
明治大帝御製

いかならむことある時も うつせみの
人の心よゆたかなるらむ

270 :日出づる処の名無し:2007/11/22(木) 16:57:51 ID:QEIG52Vg
※※@日露戦争※※

ロシア軍の満州撤兵問題とその背景

日英同盟協約が締結された2ヶ月余り後の1902年4月8日、ロシアと大清帝国との間に満州撤兵条約が成立した。
日英同盟の効果が早くも現れたといえよう。
撤兵条約の内容は三段階となっており、最初の6ヶ月以内に奉天省の西南から撤兵し、次の6ヶ月以内に奉天省の残部と吉林省から、そしてさらに次の6ヶ月以内に黒龍江省から撤兵することになっていた。
1902年10月8日、ロシアは約束通り第一次撤兵する事になっていたが、1903年4月8日になっても第二次撤兵は行われなかった。
もし、ロシアが条約を守って1903年10月8日に満州からロシア軍が全兵力を撤収していたならば、日露戦争は回避できたはずである。

271 :日出づる処の名無し:2007/11/22(木) 17:39:39 ID:QEIG52Vg
※※A日露戦争※※

ロシアの強硬な態度の背景に、日本人に対するロシア政府要人達の軽蔑があったことは疑いない。
膨張政策をとるという一点において、ロシアの文武要人達は、ほぼ完全に一致していた。
ただその方法において、経済派と軍事派との2派があった。
1892年から1903年まで蔵相の任にあり、のちポーツマス講話会議でロシアの全権となるセルゲイ・ウィッテは、
ロシアの資本主義が急速に発達している事を重視し、軍事力を用いなくても、シベリア鉄道の経済力のロシアは東南に進出できると考えていた。


272 :日出づる処の名無し:2007/11/22(木) 18:43:19 ID:QEIG52Vg
※※B日露戦争※※

これに反して、1897年から1900年までの外相ミハイル・ムラビィヨフや軍部は強硬政策を唱え、1898年3月に旅順と大連との租借に踏み切ったのも、ミラビィヨフの政策であった。
更に注目されるのは、侍従兼国務顧問官という奇妙な職にあったアレクサンドル・ベゾブラゾフの存在である。
彼は皇帝ニコライ二世の絶大な信任をえており、鴨緑江に伐木権を得て鴨緑江木材会社を主宰し、宮廷の有力者や重臣たちを勧誘してこの会社の大株主にした。
1894年から5年間極東艦隊の司令官を務め、1903年から2年間極東総督という新設の地位についたエフゲニー・アレクセイエフ海軍大将もその一人である。
アレクサンドル・ベゾブラゾフやエフゲニー・アレクセイエフのようないかがわしい人物はもとより、慎重派に属したクロパトキン大将も、日本及び日本人を軽視していた。


273 :日出づる処の名無し:2007/11/22(木) 19:06:38 ID:QEIG52Vg
※※C日露戦争※※

クロパトキン将軍は短期の日本訪問後、『日本との戦争は軍事的散歩のようなものだ』と語った。
●日本世論の硬化●
1903年4月に、ロシアが第二次撤兵を行わない事がわかると、日本世論はロシアに対する敵愾心に沸き立った。
日本政府の首脳四人、すなわち伊藤、山縣の両元老と桂首相及び小村外相は、大阪で開催中の内国勧業博覧会を視察するため西下機会に、京都の山縣別邸無隣庵に集まった。
四人が達した結論は次の三点であった。
@ロシアが満州還付条約を履行せず、撤兵しない時は厳重に抗議する。
A韓国については、日本の優先権を認めさせ、一歩も譲らない。
B満州についてはロシアの優越を認め、朝鮮問題を解決する。


274 :日出づる処の名無し:2007/11/22(木) 19:54:02 ID:QEIG52Vg
明治大帝御製

あるるかと 見ればなぎゆく海原の
波こそ人の世に似たりけれ

275 :日出づる処の名無し:2007/11/22(木) 21:00:19 ID:QEIG52Vg
※※D日露戦争※※

6月23日には御前会議が開かれ、伊藤、山縣、大山、松方、井上、の5元老と桂首相、小村外相、寺内陸相と山本海相の四大臣が出席して、無隣庵会談の結論を確認した。
その要点はロシアが撤兵しないときは、この機会に韓国問題を解決する。
すなわち韓国の一部たりともロシアに譲らず、そのかわりに満州については譲歩するというのである。
伊藤博文も山縣有朋も、この段階ではまだ戦争の決意をかためていなかった。


276 :日出づる処の名無し:2007/11/22(木) 21:36:13 ID:QEIG52Vg
明治大帝御製

池のおもに のぞめる花のうれしきは
ちりても水に浮かぶなりけり


277 :日出づる処の名無し:2007/11/23(金) 00:22:10 ID:uKpaqSw4
明治大帝御製

目に見えぬ神にむかひてはぢざるは
人の心のまことなりけり

278 :日出づる処の名無し:2007/11/23(金) 03:08:57 ID:uKpaqSw4
明治大帝御製

歳月は射る矢のごとく物はみな
すみやかにこそ
なすべかりけれ

279 :夏彦 ◆z2v1usCPsk :2007/11/23(金) 13:49:09 ID:FcCFmY+W
お久しぶりです。
大分伸びましたね。順次見ます。

280 :日出づる処の名無し:2007/11/23(金) 15:25:36 ID:uKpaqSw4
>>279
お疲れ様です。
寒さ厳しき折、如何お過ごしでしょうか。
悠仁親王殿下のお健やかなお姿を拝見し、ホットする毎日です。
夏彦様におかれましても、風邪などめされませんよう御自愛下さいませ。


281 :日出づる処の名無し:2007/11/23(金) 16:16:04 ID:uKpaqSw4
昭和天皇の大御歌

あらたまの 年をむかへていやますは
民をあはれむこころなりけり

282 :日出づる処の名無し:2007/11/23(金) 16:29:23 ID:uKpaqSw4
大正天皇御製

もののふの 命を捨てて戦ひに かちえしものは 尊かりけり

283 :日出づる処の名無し:2007/11/23(金) 17:16:55 ID:uKpaqSw4
※※E日露戦争※※

参謀総長大山巌大将は明治大帝に提出した意見書は、次のような趣旨であった。
『目下の戦略関係は我に有利なるも、年月を重ねるにしたがい、彼比その情勢を転ずるにいたるべく
かつ韓国にして彼の勢力下に置かるるに至らば、帝国の国防また安全ならざるべし』
年月がたつにつれてロシアが有利になるというのはシベリア鉄道を通じて欧州から援軍が続々到着している事を意味している。
1903年5月9日、小田海軍中佐は軍令部長の旨を受けて参謀本部を訪ね、『1日遅れるのは1日不利』という点で、一致した。
5月29日には陸軍省、海軍省、外務省の部局長クラスが芝烏森の料亭湖月に集い
『帝国は今の時を以て一大決心をなし、戦争を賭して、露國の横暴を抑制するにあらざれば、帝国の前途憂慮すべきものあり。
而して今日の機会を失しては、将来決して国運回復の機に会せざるべし』

284 :日出づる処の名無し:2007/11/23(金) 17:30:10 ID:Wu/eAT6V
事件は10月24日、『国連の日』の恒例行事として、
毎年、国連本部で開かれる事務総長主催のコンサートで起きた。
今年は潘総長の意向で、母国のソウル・フィルハーモニー・オーケストラが呼ばれていた。
「その会場で、韓国の一方的な主張が載る“反日ビラ”が配られたのです」

配られたのは『Welcome to KOREA』と題された英字パンフレット。
内容は韓国の紹介だが、その中の地図で、「日本海」が「東海」、「日本領・竹島」が「韓国領・独島」と
表記されていたのだ。「これまで韓国は、国連地名標準化会議の場で、『日本海』と『東海』を併記しろ、
と主張してきましたが、同調する国はないのが現状でした。そこで、各国の大使や外交官などが出席する
コンサートは、絶好のアピールの機会だと考えたのでしょう。まずは、あの手この手で併記を実質的
に定着させようとしているのです」

「さすがに潘総長が直接指示したということはないでしょうが、そもそも潘総長が韓国のオーケストラを
呼ぶようなことをするから、韓国代表部がコンサートを仕切ることになり、暴走したわけです。
何より中立性が重んじられる国連のトップとしては、配慮に欠けていたと言わざるをえない」

ところが、これらは単なる“現場の暴走”ではなく、潘氏は総長就任以来、計画的に“反日シフト”を
作りつつある、という指摘もあるのだ。「潘氏は目立たないような形で、重要なポジションに韓国の
プラスになるスタッフを配置し、逆に、日本にとってマイナスになるような人事を行っています。
軍縮担当事務次長という重要ポストにあった田中信明氏が、潘事務総長の就任わずか1ヵ月後、
国連改革の名目で体よく辞めさせられました。日本にとっても大きな損失です」

日本の悲願でもある、安全保障理事会の常任理事国入りも、
潘氏が事務総長を務めている限り、議題にすらならない可能性もあるという。
「韓国は明確に反対の立場ですから、あえて安保理改革に手をつけないことによって、
日本の常任理事国入りの芽を摘んでいるともいえるのです」

小沢民主党代表が愛してやまない国連だが、
そこが反日の巣窟になりつつあると知ったらどうするのであろうか。
http://www.excite.co.jp/News/magazine/MAG6/20071121/97/より抜粋


285 :日出づる処の名無し:2007/11/23(金) 19:07:04 ID:uKpaqSw4
件林光平
君が代は いわほと共に動かねば
くだけてかへれ 沖つしら波
意味
天皇の治めるこの御代は、巌のように揺るぎないものだ。
だから、攻め押し寄せる外国どもよ、サッサと砕けてかえりなさい

286 :日出づる処の名無し:2007/11/23(金) 19:16:07 ID:fSOPaX4z
☆ 1941年の御前会議においての永野修身軍令部総長の発言 ☆

「戦わざれば亡国必至、戦うもまた亡国を免れぬとすれば、
戦わずして亡国にゆだねるは身も心も民族永遠の亡国であるが、
戦って護国の精神に徹するならば、たとい戦い勝たずとも祖国護持の精神が残り、
われらの子孫はかならず再起三起するであろう」

どうだろう・・・・
命をかけて国のために戦ったものの魂を受け継ぐものはいたのか?
朝鮮人に国土を蹂躙され、歴史を改ざんされ、領土不法占拠されてもそのまま。
誘拐され監禁された女子中学生ひとり救えないくそ国家に成り下がった日本。


287 :日出づる処の名無し:2007/11/23(金) 19:44:51 ID:uKpaqSw4
昭憲皇太后の御歌

すぎたるは及ばざりけりかりそめの
言葉もあだにちらさざらなむ


288 :日出づる処の名無し:2007/11/24(土) 00:13:30 ID:3ZaZ9dVf
明治大帝御製

遠くとも人の行くべき道ゆかば
危うき事はあらじとぞおもふ

289 :日出づる処の名無し:2007/11/24(土) 09:32:21 ID:3ZaZ9dVf
昭憲皇太后の御歌

日に三度身をかへりみし ににしへの
人のこころにならひてしがな


290 :日出づる処の名無し:2007/11/24(土) 09:35:02 ID:nRqRfVU2
戦勝を記念すると敗戦を意識せざるをえなくなるから

291 :日出づる処の名無し:2007/11/24(土) 18:18:25 ID:3ZaZ9dVf
※※F日露戦争※※

10月1日に田村参謀次長が病死したことは、日本陸軍に取って痛打であった。
田村少将は寝食をわすれて対ロシア作戦を練った。
常備兵力200万、予備兵力500万といわれるロシア軍は、常備軍だけでも日本陸軍の7〜8倍に当たる。
不可能を可能にしようと粉骨砕身した田村少将は、過労死したのである。

292 :日出づる処の名無し:2007/11/24(土) 18:44:22 ID:3ZaZ9dVf
※※G日露戦争※※
参謀本部の井口総務部長は日記に記している。
事大の韓人、邦人に対して無礼を加うるの状あらわる。
時機すでにおくれたりと雖も、今日にして内閣一大決心を以て韓国出兵を敢えてせざれば、
邦家のため、東洋のため、露國の横暴を抑制するの機なからん。
外交談判また不利の結果を来すべきにより、福島次長事務取扱いを要して、山縣元帥及び桂総理に決心を促さんことを請求す。
しかるに桂総理大臣の決心確乎ならず、優柔不断に国家の大事を誤らんことを恐る。
加うるに山縣元帥の意気消沈して、また昔日の慨なし。
ああ川上大将は四年前にゆき、田村少将もまた1日を以て大将のあとを追う。
大山参謀長もまた戦意無く、しかのみならず陸海軍大臣、なかんずく山本海軍大臣、海軍あるを知りて、国家あるを知らず、
機を見るの明なく、戦を決するの断なし。
帝国の大事まさに去らんとす。
天なんぞ露國に幸いするのはなはだしき。
予ら天の日本帝国を滅ぼさんとするの兆しあるを信ぜんとす。
しかるに12日に至り、児玉男爵内大臣を去って参謀本部次長職に就かるるに会す。
以て天の未だわが帝国を棄てざるをしる。
何等の喜悦、何等の快事ぞ。


293 :日出づる処の名無し:2007/11/24(土) 18:59:00 ID:3ZaZ9dVf
※※G日露戦争※※
田村参謀次長の急逝に衝撃を受けた井口総務部長が元老や重臣たちを罵っている有り様は、当時の陸軍に取って、田村少将の過労死がどれほどの損失であったかを示している。
内務大臣児玉源太郎がみずから二階級降格して参謀次長という少将のポストについたことは、児玉源太郎の無私と愛国の至上を物語る。
特別に階級を重んずる軍人の中で、児玉のような存在は例外中の例外である。
参謀次長の職についた児玉は、殆ど帰宅せず、『不可能を可能にする』対ロシア作戦の策定に全力をあげた。

294 :日出づる処の名無し:2007/11/24(土) 19:25:34 ID:3ZaZ9dVf
◎蒼天・忠恕の軍人◎

★児玉源太郎男爵★
当時の大日本帝国の底流に流れていたものは『忠恕』と『蒼天』の精神。
忠恕とは、自分の良心に忠実であること。
誠心誠意生きること。 そして他人に対する思いやりが深いこと。
如何なる絶望的状況でも希望を失わないという精神。
これを言い出したのは吉田松陰である。
司馬遼太郎風に言えば、『坂之上の雲』か。雲の上には常に蒼い空があるのだ。

295 :日出づる処の名無し:2007/11/24(土) 20:35:06 ID:3ZaZ9dVf
◎@日本人乃木希典◎
★日本人の生き様★
西南戦争に従軍した乃木は、なんと軍旗を西郷に奪い取られている。
乃木はこの屈辱を生涯の心の傷として何回も自決をはかろうとしている。
その後、明治大帝に拝謁した乃木は天皇に対してあまりにも兵隊を殺めたことを詫びる。
『陛下の赤子を、あれほどあやめてしまい』
乃木は嗚咽して『この乃木に死を賜らんことを』と明治大帝に訴える…
明治大帝国は『死を早まって欲しくない』と許さなかった
乃木が生涯こだわった西南戦争の軍旗紛失も、決して臆病風にふかれて取られたのではない。
熊本鎮台に属する乃木の連隊は、小倉に駐屯していた。
そして熊本城包囲の際、援軍として熊本に向かい、薩摩軍の最精鋭との戦闘になった。
軍旗を危惧した乃木が、数人の兵隊に命じて、軍旗を移送しようとするが、そのときに大勢の薩摩軍精鋭に包囲され、軍旗を奪われている。
乃木軍は勇敢に戦ったのだ。だが、乃木は、これを『終生の恥』として心に宿し続けた。


296 :日出づる処の名無し:2007/11/24(土) 20:49:19 ID:3ZaZ9dVf
◎A日本人乃木希典◎
★日本人の生き様★
日露戦争での203高地攻撃のとき、乃木の軍隊は二万を超える将兵を失う。
心優しい乃木は、味方が大砲を撃っているとき、兵隊を進軍させなかった。
時軍を撃つけとをおもんぱかった。彼の配慮なのである。
結局、攻めても攻めても勝てない。
そのとき児玉源太郎が乃木を救う。
こうして日本軍は勝利する。
水師営の会見のとき、乃木は敵将ステッセルに帯剣を許す。
それだけではない、乃木は外国人の特派員記者に写真撮影を許可しなかった。
敗軍の将ステッセルの心情を察しての対応である。
支那や朝鮮にはない日本人の文化、もののふのの文化である。
それは敗者を許す寛容の心を秘めた文化だ。乃木の寛容心はその象徴ともいえよう。

297 :日出づる処の名無し:2007/11/24(土) 21:06:26 ID:3ZaZ9dVf
◎B日本人乃木希典◎
★日本人の生き様★
四国・松山のロシア兵の捕虜収容所でのこと。
ロシア軍の捕虜たちは、そこで極めて恵まれた待遇を受ける。
『ロシア人には、米よりも黒パンやジャガイモ、シチューが良かろう』
『畳に布団よりもベッドのほうがよいだろう』
乃木は細心の配慮をする。
ロシア人捕虜たちは日本を離れるとき『日本人ほど心優しい慈しみ深い人たちはいない。このことは孫子のだいまで語り伝えたい』と泣いて語ったという。
そして、敵将ステッセルがロシア皇帝ニコライ二世の命により処刑されようとするそのとき、一通の手紙が舞い込む。
乃木からの手紙であった。
『どうかステッセル将軍を処刑しないで下さい。
ステッセル将軍も、ロシア軍も、それは立派に戦いました。たまたま武運が日本にあっただけで、実力は互角でした…』
切々と助命を嘆願する乃木の私信に、ニコライ二世の決意が揺らぐ。
ステッセルは減刑され、シベリアに流される。
乃木は自らが自決する瞬間までステッセルの家族に生活費を送り続ける。

298 :日出づる処の名無し:2007/11/24(土) 21:23:05 ID:3ZaZ9dVf
◎C日本人乃木希典◎

★日本人の生き様★
乃木希典は自決する。
明治大帝を追っての、まさに殉死であった。
乃木の自決の要因は『軍旗紛失事件』そして、旅順攻略で尊い日本人の若者をあまりにも多く失っている。
乃木の二人の息子も戦死している。
『その責めは自らにある』
乃木のその一念心はあまりにも強く、深かった。
乃木の妻・静子の殉死は、短刀で心臓を一突きにしている。
だが、乃木の切腹は介錯をともなわなかった。
その苦しみは一様尋常ならざるものであったに違いない。
介錯なしの切腹で自らを苦しめ続ける事で、多くの人間の死に同苦(仏教の言葉で、人と苦しみを同じくしようとすること)しようとしたのである。
乃木の葬儀の際に、多くの香典に混じって、一つの異色の香典があった。
送り主のところには『シベリアの一僧侶』と記されていた。
ステッセルその人であった。
乃木から送り続けられていた生活費を貯めて、乃木の落命を知るや、これを香典として霊前に送付したのでした。
ステッセルの胸中やいかに。

299 :日出づる処の名無し:2007/11/24(土) 21:59:35 ID:3ZaZ9dVf
歌聖 明治大帝御製

手ならひを ものうきことに思ひつる
をさな心を今くゆるかな

300 :日出づる処の名無し:2007/11/25(日) 00:33:06 ID:ytNq3LOO
歌聖 明治大帝御製

靖国のやしろにいつく鏡こそ
やまと心のひかりなりけれ

301 :日出づる処の名無し:2007/11/25(日) 14:55:58 ID:ytNq3LOO
昭憲皇太后の御歌

むらぎもの 心にとひてはじざらば
よの一言は いかにありとも

302 :日出づる処の名無し:2007/11/25(日) 19:42:32 ID:ytNq3LOO
歌聖明治大帝御製
照るにつけくもるにつけておもふかな
わが民草のうへはいかにと

303 :I:2007/11/25(日) 22:38:11 ID:t8CzELpk
大東亜戦争から、戦争は悪だって言ってる人間が多いが、
日清戦争・日露戦争の勝利を誇らしく思ってるんだよな。

結局、戦争において善悪はない。
勝った戦争は良くて、負けた戦争が悪い。

だから本来、どうすれば戦争に負けないのか、どうすれば戦争に勝てるのかを考えるべき。
戦争は悪と考えてしまうと、思考停止になってしまう。

304 :日出づる処の名無し:2007/11/25(日) 23:40:33 ID:ytNq3LOO
>>303
やはり、戦争は勝たなければなりませんね。
全ての苦労が水の泡になってしまうからです。
先の大戦では、教育や憲法、かなりの重要な部分を占領軍に変えられてしまった事は慚愧に堪えません。
どうすれば勝てるのか、負けずにすむのか、戦略や戦術を日本人が学ぶ必要があると思います。

305 :日出づる処の名無し:2007/11/25(日) 23:44:51 ID:vjwsDlTg
戦略って言葉には戦が入ってるけど、
軍事は、手段の一つにすぎんでしょう。

つか、そう決めた。

国の安寧を中心に据えて、
国家の維持と継続を考えるなら、
要は、ナワバリを維持するには、
どうすりゃいいか、って話で。

さて、どうするか。

306 :日出づる処の名無し:2007/11/26(月) 00:06:16 ID:dq3Y5D/6
>>305
現代では経済の世界でも戦略や戦術は必要になっています。
軍事では日米同盟は機軸ですが、貿易はより広い視野を持つ事が求められます。
発電なども、アフリカの砂漠などを利用できれば、日本国としてクリーンなエネルギーで世界貢献できると思います。
日本国が国際競争力を維持し強化する戦略が求められます。
資源獲得競争は激化しており、三菱商事や三井物産、住友商事などの日本の商社が中国などに遅れをとらない事が肝要です。政府も後押しをすべきでしょう。

307 :日出づる処の名無し:2007/11/26(月) 09:45:29 ID:29zfvWTB
>>306
しょせん商取引なんてもんはなんの力もないよ。
日本ば米国の軍事力ぬ裏打ちされた秩序の中で泳いでるだけ。

中国はアフリカの権益を伸ばすためには人も殺す
日本の商社がいくら情報もってても、それをいかす国家戦略と機関がないし、
そんなもんをいまさら作ろうとすれば、米国の殺されるだけ。

308 :日出づる処の名無し:2007/11/26(月) 16:57:36 ID:xxG5hGtg
手段と目的で言うなら、経済は目的に近く、
軍事は手段に近い、って感じじゃないすか。

外交、諜報、軍事、
そういう手段を組み合わせて、
目的を達成するのが戦略、
ってことで。

ただし、軍事力の裏づけが、
経済と密接に関係してるのは、
忘れるべきでない基本ですわな。

309 :日出づる処の名無し:2007/11/26(月) 18:11:55 ID:dq3Y5D/6
>>307
日本の商社の実力はかなりのものですよ。
ブラジルの大豆生産をしている企業を買収したり、カザフスタンのウラン鉱山の取得、豪州の鉄鉱山の経営など、戦略無き日本にあってはピカイチです。
原子力発電所建設では日本は世界最先端技術を持っており有望です。
現在の日本では、独自で戦略をたてて粘り強く遂行するのは容易ではありませんから、英米と一体となり、資源開発や情報提供を受ける必要がありましょう。
他には
@食料では友好国タイとの食料同盟を結ぶ
Aブラジルでの農地取得や食料供給会社の株式の取得
Bペルーのフジモリ元大統領を支援してペルーや南米の日系人を支援し、食料供給を確保する
C日本国が商社の鉱山取得に出資、または株式取得
など、日系人や友好国などを固める必要があるでしょう。
南米を注目したいですね。


310 :日出づる処の名無し:2007/11/26(月) 18:15:33 ID:8vZUfLZ5
>>1
立役者の天皇軍は敗戦して
天皇自身は象徴という哀れな姿にされてしまってますが?

311 :日出づる処の名無し:2007/11/26(月) 18:25:18 ID:dq3Y5D/6
>>308
仰る通りです。
但し、日本国は外征ができませんから、日米同盟を活用せざるをえません。
日本国として、世界を動かすメジャーの株式を取得するなど、アメリカの戦略に乗っかっておこぼれを貰う事も考えなければならと思います。
この際、アメリカに貢献している事をハッキリ打ち出して、キッチリ分け前を貰う方向性を打ち出すべきだと思います。
戦後の日本は、情報が無い中での独自戦略は失敗を繰り返していますからね。
中国はアメリカの軍事産業やメジャーの株式取得に力を入れていてブッシュ政権も警戒しているようです。


312 :日出づる処の名無し:2007/11/26(月) 18:50:39 ID:dq3Y5D/6
>>310
戦争には勝ち負けがあるものです。
先の大戦は、我が国に、あまたある戦の一つにしか過ぎません。
現に、日清戦争は快勝し、日露戦争も勝利しています。
戦争は常に身直にあるものであり、いつまた惹起するかもわかりませんから準備を怠らない事が肝要です。
左翼や朝鮮人、中国人のトリックは、いかに第二次世界大戦の呪縛に日本人を苛まれるように仕向けるかにあります。
しかし、そのトリックは帝国主義時代や白人至上主義、中華帝国史、朝鮮王朝史、ロマノフ王朝史を知れば解決できるのです。
漢民族や朝鮮族が満州族の奴隷だったのを、奴隷解放した日本軍を誇りに思います。
世界史では戦争に敗れれば王朝は倒れるのが通例ですが我が国の万世一系の皇室は継続されました。
まさに有り難きこと限りなし。


313 :日出づる処の名無し:2007/11/26(月) 19:04:47 ID:dq3Y5D/6
我が国は、日露戦争や日清戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦など戦史からバランスよく学ぶひつようがあります。
日本軍悪玉論などウソの塊であり全く信用ができません。
古くからアジアには中華帝国思想があり、漢民族も長く周辺諸民族に隷属化していた事、
我が国は独立国として天皇陛下を戴いた事。
朝鮮王朝は中華帝国の属国であり、奴隷としての位置付けでしか無かった事。
アメリカがインディアンに行った虐殺や略奪。
インドどとパキスタンの紛争や中東でのイスラエルとイスラム諸国との火種を作ったイギリス
スペイン人が中米や南米で行った虐殺や略奪。
日本による朝鮮や台湾経営の素晴らしさをバランスよく学ぶべきなのです。


314 :日出づる処の名無し:2007/11/26(月) 19:16:00 ID:dq3Y5D/6
我が国が不得手としているのは多数派工作です。
日本がとるべき道は、常に連合軍の体裁を整える事なのです。
私が常に英米との共同歩調をとるべきと訴えているのは、そのグループには旧英連邦諸国である豪州やニュージーランド、カナダなどが支持または援軍として期待できるからです。
イギリスの外交力は一流であり、アメリカの軍事力や経済力も一流です。
カナダや豪州は資源の宝庫であり市場としても有望です。
我が国は常にこのグループに属していなければなりません。

315 :日出づる処の名無し:2007/11/26(月) 19:34:37 ID:dq3Y5D/6
例えば、中国が日本軍を侵略だと大騒ぎする理屈は不自然です。
漢民族は長く周辺諸民族に攻め込まれ、伝統や文化を押し付けられてきた歴史があります。
長い間支配されてきんてすから、しかも圧政での重税や略奪などは中華帝国史では当たり前、三国志や水滸伝などで有名な戦乱は、むしろ中国人にとっては皇帝に成り上がるチャンスの時期であり、将にチャイナドリームの時期なのですから。
実際に、漢の劉邦は農民出身であり、秦王朝崩壊後の戦乱で成り上がり皇帝についていますし。
明の初代皇帝も坊主→ホームレス→紅巾の乱の首領→皇帝。
中華人民共和国の毛沢東も戦乱を征して成り上がりました。
中華での戦乱はチャイナドリームなのです。

316 :日出づる処の名無し:2007/11/26(月) 19:43:34 ID:dq3Y5D/6
日本軍はチャイナドリームの演出者だったのです。
毛沢東は戦乱を上手く利用してチャイナドリームの夢を掴みました。
中華帝国流の解釈をすれば、日本軍は天命に従い支那に進駐したに過ぎません。
一時的にせよ中原(中国中心部)を支配したわけですから、東洋の覇者たる資格を得たわけです。
歴代中華帝国が行った施策ですから、朝鮮や中国も文句は言えませんね。

317 :日出づる処の名無し:2007/11/26(月) 19:49:36 ID:xxG5hGtg
まあ、うっかり成功しなくて良かったけどね。

318 :日出づる処の名無し:2007/11/26(月) 20:03:46 ID:dq3Y5D/6
>>317
中国や朝鮮は伝統的に権謀術数渦巻く暗黒の世界ですから、日本が早めに手を引いたのは正解でした。
内乱続発し、周辺諸民族から攻め込まれ易い朝鮮や中国は、守るに難き場所であり、統治しにくい場所ですからね。
トラブルの解決が下手な日本人が長く止まらなかったのは、よしとしたいところです。

319 :日出づる処の名無し:2007/11/26(月) 20:21:04 ID:dq3Y5D/6
人類史からすれば、戦争はなくならないものなのですから、より有利な側に立って戦えるように工夫しなければなりませんね。
日本が仲間に選ぶのは領土的野心がなく、ルールや契約を厳守する民族や国です。
もちろん、支那や朝鮮やロシアは仲間にできません。
彼らはルールを理解できませんし、守る文化がありませんから。


320 :日出づる処の名無し:2007/11/26(月) 20:28:32 ID:xxG5hGtg
英米と組むことに異論はありませんが、
新しい可能性の開拓にも、興味はあります。

321 :日出づる処の名無し:2007/11/26(月) 20:32:35 ID:xxG5hGtg
誤解のないように、明確にしておきますが、
基礎は基礎として堅持した上で、の話です。

これから日本が、手段の独立性を強めるとしても、
足場の重要性は、まったく変わりませんし。

322 :日出づる処の名無し:2007/11/26(月) 21:18:42 ID:dq3Y5D/6
>>320

新しい可能性について考察してみましょう。
単独での国防はコスト高になるでしょう。
核兵器の独自開発の技術力はありますが、欧米を敵に回す可能性があり貿易立国としての我が国は鎖国に近い状況を招く可能性が高まります。
イランが強気なのは石油資源を背景としています。
我が国が資源の全てを輸入に頼っている現実を軽視すると国が滅んでしまいます。
アメリカの核兵器の傘が日本の国防費を安上がりにしている事は間違いない事実です。
保管場所、保守や点検、更新などや廃棄などにも金はかかりますし、原発の現状を考えると、難しいのです。
日本に支那や朝鮮のスパイが入りこんでいる事実からしても難しいでしょう。
経済市場としては、欧州かアメリカ、アジアがあります。
英米と組んでいれば全てスムーズにいきますが、英米に対抗できるそれ以外の勢力や国は見当たらないのが現状です。
インドはやや英米よりですし、エジプト、南アフリカ、サウジアラビア、パキスタンも英米よりです。
フランスやドイツは欧州共同体で精一杯ですから、英米以外に選択肢はありません。
ブラジルは資源や食料で魅力的ですが、軍事力は期待できませんし、遠すぎます。

323 :日出づる処の名無し:2007/11/26(月) 21:28:41 ID:xxG5hGtg
いえ、そういう意味ではありません。

我々の経済圏外との関係の話です。
具体的には、ロシア。

ただ、全体に及ぶ影響が大きいので、
エサを前にウロウロ、って感じですが。

324 :日出づる処の名無し:2007/11/26(月) 21:39:57 ID:dq3Y5D/6
>>323
ロシアはプーチン次第ですね。
プーチンさえ日本が取り込む事ができればよいのですがね。
ロシア帝国の栄華を再興しようとしている人物ですから一筋縄にはいきません。
ロシアの資源は魅力的でありますが、ルールを破るので困っています。
サハリンAで三井物産が大損させられましたから慎重にならざるをえません。
狡猾なロシアとどうつきあうかを考えないといけませんね。

325 ::2007/11/26(月) 21:48:22 ID:/5cK5e0L
大東亜戦争で戦争に負けた日を、終戦記念日というのは止めて欲しいな。
敗戦記念日・国恥記念日にして欲しい。

終戦記念日っていかにも、戦争が終わってよかったって感じになる。
まさに占領軍にとって都合の良い解釈になるな。

戦争に負けるなんて、民族にとって最大の恥だ。
戦争に負けた事を深く考えて、何故負けたのか、どうすれば勝てたのか、負けた結果何を失ったのかって考えるべきだろう。

終戦記念日ってことで思考停止になってる。現実逃避になってる。
これではいつまで経っても、アメリカの歴史観からる抜け出せない。
占領軍が占領政策で何をしたのか分からなくなってしまう。
戦後体制から抜け出せない。

326 :日出づる処の名無し:2007/11/26(月) 22:10:44 ID:dq3Y5D/6
>>325

国家戦略は貿易立国としての日本がいかにあるべきかを考えたものでなければなりませんが、歴史認識は日本独自のものであるべきです。


327 :日出づる処の名無し:2007/11/26(月) 22:17:19 ID:yATKHr6b
創価は教祖が北朝鮮人だし統一教会の手先の日本転覆カルト教団。
オウムの幹部の多くは創価の人間。
まだ知らない人間が多いが、創価は暴力団、北朝鮮とともに覚醒剤に手を染め
巨利を貪り マスコミ 企業 政治屋・・・に圧力を加えるゴキブリ犯罪集団。
日本、日本人の敵以外の何物でもない。
なおかつ、いざという時 朝鮮総連の工作員とともに日本国で騒乱を起こす集団だよ。
麻原の口封じの為 あらゆる立場の人間を使って薬漬けにして廃人にして証拠の隠滅、真実の暴露を
必死で防ぐ超売国カルト キチガイ集団 朝鮮の手先・・・・それが創価学会

創価学会は北朝鮮宗教である
http://Www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/newversion/sokakitacho.htm
http://Www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/newversion/yudatesaki.htm

創価が単なる気持ち悪い宗教団体だったらいいのだけど現実は
日本を破壊するためのカルト。オウムを育てたのも創価だし
皇室典範から人権擁護法案と言う名の日本人逆差別法案まで
何から何まで反日的宗教。SGIは統一教会と共に韓国では反日
活動をしている。



328 :日出づる処の名無し:2007/11/26(月) 22:48:44 ID:8vZUfLZ5
>>1
皇軍がすでに消滅してしまったのに記念日も何もないでしょうに
アイデンティティを天皇に置く皇軍と違って自衛隊はGHQに置く軍隊だし

329 :日出づる処の名無し:2007/11/26(月) 23:12:29 ID:dq3Y5D/6
>>328
旧日本軍の関わった戦勝記念日のみならず、11月3日の明治節の復活などの戦前に行われていた祝祭日の復活を訴えていますよ。
何も旧日本軍が解体されても、日露戦争、日清戦争などの輝かしい戦史を消し去ることはできません。
しかも、そのような記念日は旧日本軍のものではなく日本民族のものですから、国民が先人の苦労に感謝し、学ぶよい機会になるのです。
先の大戦は、日清、日露戦争と共に、既に歴史の一ページになりました。
戦訓を学び、国防に資するためにも、記念日を復活させたり、新たに作る事の意味は、大いにあると考えております。


330 :日出づる処の名無し:2007/11/26(月) 23:34:59 ID:dq3Y5D/6
そもそも、川中島合戦を記念したイベントや小田原北条五代祭り、などの合戦のイベントがあるのに、日清、日露戦争などの近代の戦争を記念するイベントを一切聞いたことがないのがキッカケです。
確かに、陸軍記念日や海軍記念日とかさなりますから、左翼や朝鮮族、漢民族にとっては不都合なのかもしれませんが、あくまでも内政問題ですから。
我が国に未曽有の国難を呼び込んだ異民族を征伐した戦争は、我が国にとっても大変重要なものです。


331 :日出づる処の名無し:2007/11/26(月) 23:48:59 ID:dq3Y5D/6
歌聖明治大帝御製

國といふ くにのかがみとなるばかり
みがけますらを
大和だましひ


332 :日出づる処の名無し:2007/11/27(火) 00:30:34 ID:t3voYBTG
朝鮮半島は「ストロー」であった。
ユーラシア大陸の東端の情勢が半島というストローを通じて日本列島に流れてくる
のである。これは好むと好まざるに関わらず、地形的な必然であった。
清の属国であった朝鮮半島は、清が欧米列強に対して無為無策であったことにより、
無主物と同じ未開発な地域となっていた。その様な状態は、日本列島にとり、大陸
の混乱が流れ込み放題の状態であり、なんとしても半島が確固とした国家として自
立して欲しいと願う状態であった。しかし、19世紀後半のこの時期に於いても、
半島は近代化の芽となる兆候は何もなく、中世暗黒のまま澱んでいた。
半島の自立を促すも、半島には自分で近代化する力はなかった。
日清戦争で中国(清)からの独立を幇助し、日露戦争でロシアの侵略を防ぎ、半島
の自立を全身全霊をかけて応援した日本だったが、半島の停滞した澱みからは自立
の萌芽はなかった。復古主義テロリスト安重根は根強く半島の自立を願った伊藤公
を暗殺し、情勢は一気に併合へと傾いた。植民地化ではない、併合である。半島人
は日本人として遇されたのであるが、如何せん中世農奴のレベルの半島人には近代
化が早すぎ、理解ができなかったのである。
戦後、東西冷戦のアジアでの最前線であった韓国は、日韓併合の36年間の基盤と
米国と日本の支援により、どうにか近代化を達成したが、それ以前の情けない歴史
に恥じ入り、半島民族の歴史を今になって創作しているのだ。

333 :日出づる処の名無し:2007/11/27(火) 23:00:03 ID:O7RWg34h
歌聖明治天皇御製

まつりごと ただしき国といわれなむ
百のつかさよちからつくして

334 :日出づる処の名無し:2007/11/27(火) 23:30:54 ID:O7RWg34h
歴史を学び歴史に対する認識を改めましょう。
左翼のトリックである大東亜戦争の呪縛に日本人を縛り付ける歴史観を見直し、
日清戦争や日露戦争など明治維新以降の我が国の歴史の全体をひとまとまりとして学び直す動きが出てきていることは素晴らしい事です。
視点を変えれば、日本が行った戦争に正当性があった事が浮かび上がってきます。
日本の歴史を見直すのは、我々保守の日本人の手で行うべきなのです。

335 :日出づる処の名無し:2007/11/29(木) 03:48:26 ID:d9HnLYrH
中国海軍軍艦が入港しましたね。
これは日清戦争を想起します。
我々日本人は過去の戦争から学ばなければなりません。
長崎水兵事件の際には、我が国は悔し涙をながして清帝国の横暴をみのがさざるをえなかったのでした。
東郷平八郎大佐は、巨大戦艦の主砲に洗濯物が干してあるのを見て清帝国海軍の規律の乱れを見抜き勝利を確信した故事もあります。
やはり中国は我が国を仮想敵国としているようです。
海軍が充実してきているので、早速示威行動をしてきたのでしょう。
支那の横暴を許していてはいけません。
より一層日米同盟の強化をはかる必要を痛感致します。

336 :日出づる処の名無し:2007/11/29(木) 03:53:38 ID:hOlUkbeY
顔見世で日本に来るのは、
すぐ隣だし、別に問題ないんじゃないか?

それより、
日本以外の、どの国に寄るか、
範囲のほうが面白い。


337 :日出づる処の名無し:2007/11/29(木) 03:59:50 ID:d9HnLYrH
>>336
中華人民共和国は清帝国の後継国であると表明していますよ。
中華帝国の最大版図の回復を視野に入れた行動であることは間違いありません。
中国海軍幹部が太平洋の分割をアメリカ海軍に打診した事は有名であり、西半分を中国のものだとするならば、我が国は中華帝国の版図の中に組み込まれることになります。
50年以内に米国海軍に挑戦を挑む可能性は十分にありえます。

338 :日出づる処の名無し:2007/11/29(木) 04:09:47 ID:d9HnLYrH
我々日本人は、日本が中華人民共和国の日本族自治区になる可能性を意識した行動をしなければなりません。
先祖が心血を注いで守ってきたこの島国を、支那の版図にしては誠に申し訳ない事です。
民族浄化が行われ、男性の大半は虐殺か強制労働をしいられ、女性は漢民族の子供を宿す事になりましょう。
文化や言語は失われ、北京語をしゃべらなければならないなど、屈辱を味わう奴隷と成り下がってしまうはずです。
危機感を持たなければなりません。


339 :日出づる処の名無し:2007/11/29(木) 06:43:08 ID:hOlUkbeY
中国の軍拡が、
経済圏の確保を目的としているなら、
まだ、対応策の余地はある。

問題なのは、ただ軍拡が目的である場合、
明確な目的を持っていない可能性がある、
とかだったり。

手段が目的化しちゃうと困る。

340 :日出づる処の名無し:2007/11/29(木) 07:03:38 ID:d9HnLYrH
>>339
江沢民前国家主席は大東亜戦争での日本の侵略を永遠に忘れないと言っています。
今後、中華人民共和国で内乱 などが起こらなければ、50年以内に日本を中華人民共和国の日本人自治区にする動きが鮮明になると予想します。
何分、我が国は四面楚歌状態であり、朝鮮とロシアと中華人民共和国が連携すれば、最悪の事態が起きてしまう現実があるのです。


341 :日出づる処の名無し:2007/11/29(木) 07:18:03 ID:hOlUkbeY
中国を焦点として考えるなら、

北朝鮮は、すでに中国の手の内にあり、
韓国を日米から切り離したがってて、
ロシアとの接近は、好ましくない。

基本的に日中問題と言うよりも、
英米と中国、EUと中国の関係が、
問題だったり。

あと、軍備と信頼は、
微妙な釣り合いだなぁ・・・とか。

342 :日出づる処の名無し:2007/11/29(木) 07:47:46 ID:hOlUkbeY
補足:ロシアとの接近→ロシアと日本の接近

343 :日出づる処の名無し:2007/11/29(木) 11:12:59 ID:AnusKhqm
市民の敵だった皇軍の勝利なんて祝えるわけがない
ヒットラーの勝利を連合軍が祝うようなもの

344 :日出づる処の名無し:2007/11/29(木) 18:34:33 ID:d9HnLYrH
>>341
支那や朝鮮、ロシアに親近感を持つ事は、即、日本の安全保障を脅かす事になります。
やはり、それらの国々は我が国にとって仮想敵国であるとの認識でよいと思うのです。
歴史的にも、支那と朝鮮の権謀術数は秀でており、日本人は騙されやすいので、かなりの距離を置くのが適当でです。
関係強化など百害あって一理なしということができます。


345 :日出づる処の名無し:2007/11/29(木) 18:39:45 ID:cpWpHd5t
なんの為の軍事か、
ってのもある。

ただ漠然と、世界征服がしてみたい、
なんて国は、放っておいても潰れるよ。

346 :日出づる処の名無し:2007/11/29(木) 18:41:24 ID:d9HnLYrH
>>343
非常に不穏当な見解ですね。
皇軍と市民は不可分ですよ。
戦前は国民も日本軍も一体感があり、国民も一致団結して国難に当たっていたのですから。
現代のように、隣国のスパイが市民などと称して偽造市民をしているような事は無かったのです。
歴史を捏造するのは止めましょう。
この極東板では左翼、スパイ、極左テロリストの捏造史観は通用しません。


347 :日出づる処の名無し:2007/11/29(木) 18:52:31 ID:d9HnLYrH
>>345
中華人民共和国は革命を世界に広げる、といった危険な思想を宿している事を日本人は強く意識すべきです。
欧米化してきているので、我々と同じなのではないか?
と、何となく安心してしまう日本人がいるかもしれませんが大きな間違いです。
共産党一党独裁体制であり、しかも、中華帝国思想の覇権主義を持つという、かなり厄介な國なのです。
インターネットを使った中国人民解放軍のサイバーテロは常態化してきており、近年、フランスやアメリカ、イギリスでも警鐘を鳴らしています。
我が国でも、靖國神社、政府や官公庁のホームページに対する攻撃を受けており、事態は深刻です。

348 :日出づる処の名無し:2007/11/29(木) 18:55:42 ID:cpWpHd5t
いや、心配なのは、
統制がとれてないんじゃないか、
ってことで・・・。

349 :日出づる処の名無し:2007/11/29(木) 19:10:31 ID:d9HnLYrH
>>348
元国家主席の江沢民氏が軍事を握っているといわれています、
胡錦濤主席は全権を掌握しておらず、そういう意味では暴走をする可能性は十分あります。
歴史的にも、軍事力を持ったものが反乱を起こして天下取りをする経緯があり、予断は許しません。
支那人、漢民族の心の奥底には、戦乱をチャンスにして皇帝に成り上がるチャイナドリームの発想が強いため、何が起こってもおかしくないのです。

350 :日出づる処の名無し:2007/11/29(木) 19:12:57 ID:cpWpHd5t
生存圏の確保、とか言い出したり。
大航海時代から、なんも変わってないなぁ・・・。

それはそれとして、
軍事のための軍拡とかは、
勘弁してもらいたい。

とりあえず、軍事的優位の確保、とか。

351 :日出づる処の名無し:2007/11/29(木) 19:27:50 ID:d9HnLYrH
>>350
この強大な共産党一党独裁政権を封じ込める為に、
最近東シナ海で米国を中心に日本、インド、豪州、ニュージーランドなどの海軍が海難救助を名目に共同訓練を行った事は意義深い事であります。
中国は上海協力機構といった経済協力組織を作り、ロシアやカザフスタン、キルギスなどの中央アジアを仲間に引き入れ、これに対抗しようと躍起です。
何事につけ多数派工作は重要です。
私が常々申し上げているのは、日本軍(自衛隊)は、常に連合軍に参加しなければならないということです。
日本単独で事に当たっては、勝てる戦も負けてしまいますから。


352 :日出づる処の名無し:2007/11/29(木) 19:30:30 ID:cpWpHd5t
日中の問題じゃなくて、
中国と英米、EU、ロシアの問題で、

誰を味方にするかも問題だけど、
誰を敵にするかのほうが、もっと問題。

とりあえず、日本は海洋国家だし、
強大な軍事力があるわけでもないから、
選択肢は比較的、限られる。

353 :日出づる処の名無し:2007/11/29(木) 19:47:25 ID:d9HnLYrH
>>352
まさにそこがミソです。
我が国がどの陣営に属するのかが問題になります。
日本が強く影響を受ける陣営を大きく分ければ、
@英米陣営(カナダ、豪州、インド、サウジなど)
A中国陣営(北朝鮮中央アジアなど)
Bロシア陣営
CEU陣営 (ドイツ、フランス)
になります。
EU陣営は通すぎますから意味がありません。
ロシアは不安定ですし約束を守らないので話になりません。
中国陣営は日本を仮想敵としていますから論外です。
やはり、英米陣営に組みせざるを得ません。


354 :日出づる処の名無し:2007/11/29(木) 19:49:01 ID:cpWpHd5t
対ロシアで、なんか微妙だわなぁ。

355 :日出づる処の名無し:2007/11/29(木) 20:04:50 ID:OAsEVL9p
ロシアは冷戦に敗北してるくせに、まだ覇権国家を目指してるから始末がわるい。
敗北から何一つ学んでいない。

356 :日出づる処の名無し:2007/11/29(木) 20:25:44 ID:cpWpHd5t
・・・ああ、

せっかく戻ってきたのに、
方法論が変わってない件か。

357 :日出づる処の名無し:2007/11/29(木) 20:38:56 ID:d9HnLYrH
>>354
力こそ正義である。強いものが人気があるのがロシアの文化であるともいえます。
民主主義が芽生えてきたかに思えましたが、最近はロシア帝国時代へ回帰しているようです。
フ。ーチン大統領の就任式などは、ロシア帝国時代の様式を取り入れたものになっており、儀杖兵などはロマノフ王朝時代の制服を身につけています。
やはり、その国の伝統的は文化は無視できない要素の一つです。

358 :日出づる処の名無し:2007/11/29(木) 20:41:12 ID:d9HnLYrH
>>355
それこそが、コサック騎兵の伝統であり、ロシア人の根っこにある思考方法です。
先祖帰りしてしまうわけです。

359 :日出づる処の名無し:2007/11/29(木) 20:45:03 ID:cpWpHd5t
それがロシアの、歴史から学んだ文化だとするなら、
そういう状況に置かれ続けてきた、とも考えられる。

360 :日出づる処の名無し:2007/11/29(木) 20:54:39 ID:d9HnLYrH
>>359
世界一の国土をいじする力こそ、スラブ民族の底知れぬ力強さであり、恐ろしさでもあります。
周辺諸民族を恐怖政治により押さえ込んできた歴史は、周辺諸民族にとっては忘れがたい歴史であり、まさに悪夢とさえいえます。
最近起きている地球温暖化の好影響を受けている最大の国でもあり、長く氷に閉ざされた大国の行方は、我が国も常に注視しなければならないところです。

361 :日出づる処の名無し:2007/11/29(木) 21:03:43 ID:cpWpHd5t
さて、それでも、

状況が良くなる可能性は、
常にある、と思うけどね。

362 :日出づる処の名無し:2007/11/29(木) 21:05:08 ID:d9HnLYrH
北極の海底に眠る海洋資源をカナダやアメリカと争っており、北極の氷河が溶け出す地球温暖化になれば、大きな利益を得るのは正にロシアになるでしょう。
北極海の海底資源の開発やシベリアで農業が可能となれば、ロシア一人勝ちもありえるわけです。
ロシアが地球温暖化に積極的でないのは国益が絡んでいますから当然なのです。
今まで寒くて開発できなかった場所が豊穣の地に生まれ変わる千載一遇のチャンスをロシアが見逃すはずはありません。

363 :日出づる処の名無し:2007/11/29(木) 22:21:12 ID:d9HnLYrH
歌聖明治天皇御製

ものごとに すすまぬとのみおもふかな
身のおこたりをかえりみずして
明治天皇は常々自らの行いををかえりみて反省をしておられました。


364 :日出づる処の名無し:2007/11/29(木) 23:14:34 ID:d9HnLYrH
日露戦争に我が国は勝つ見込みがあって開戦したのであろうか?
金子堅太郎はハーバード大学で『日本はとても勝てる見込みがない。日本人中、一人として、こんどの戦いにかてると思っているものはいない。しかし日本が一歩譲れば、ロシアは更に一歩進んで来てあくことをしらない。
日本は滅んでもかまわない。世界史の一ページに『かつて東洋には、狂暴なロシアの無法な攻撃に対して、敢然と立ち向かって滅亡しな日本という国があった』
事を、書き残す事ができれば満足である』
日清戦争も日露戦争も大東亜戦争も勝つみこみは薄かった。
我が国は自尊自営の為に、やむなく立ち上がったに過ぎません。
左翼のトリックに騙されてはいけないのです。

365 :日出づる処の名無し:2007/11/29(木) 23:16:28 ID:vmjIeJcg


悪いのは日本帝国主義だ!  歴史を知るべきだ   


http://society6.2ch.net/test/read.cgi/korea/1196345254/l50

366 :日出づる処の名無し:2007/11/29(木) 23:26:55 ID:d9HnLYrH
>>365
昭和は、既に歴史の一ページになりました。
素晴らしいことに、我が国には元号が御座います。
時は平成の御代であり、歴史認識も改まっているところであります。
少なくとも、支那や朝鮮のスパイの歴史観は、この極東板では通用しない。
殊に、明治天皇を尊敬している私には、全く意味がない。
明治天皇と賢臣の御治世こそ、この国手本であり、あるべき姿である。


367 :日出づる処の名無し:2007/11/30(金) 00:29:32 ID:tg5cVDAq
アメリカ市民軍にフルボッコにされた皇軍の戦勝なんて祝えないでしょ
自衛隊はアメリカ市民軍専属防衛隊なわけだから皇軍の後継でもないし

368 :日出づる処の名無し:2007/11/30(金) 01:28:09 ID:xn0ledC5
日本で、アメリカの印象悪化させても意味ないだろ。

369 :日出づる処の名無し:2007/11/30(金) 05:36:24 ID:blLN47Nq
>>367
左翼系の歴史観でよく聞かれる意見ですね。
私の日本軍への思いは、力の限り一生懸命持てる力を振り絞り、死に物狂いで我々を守ろうとしてくださった事に意味があると考えています。
何事も、命懸けで一生懸命に打ち込む姿は美しいものです。
例えば、祖父や曾祖父が、命懸けで日本国を守ろうと力の限り努力してくださったのならば、
それに快く応えるのが我々子孫の役割であり、助成するなどの支援をするのが道理というものでしょう。
左翼は必ず、日本軍と現代の国民の距離感をおかせながらも、罪悪感だけは未来永劫に継続させようと演出を謀りますが、そんな猿芝居はお見通しです。
また、大東亜戦争で日本軍の兵器がアメリカ軍よりも劣っていたとか、補給に問題があったとか、戦略無き戦いであったなど、
昭和期において批判の対象になってきた日本軍への評価についても、平成の御代においては、見直すべきであると考えています。
日露戦争時には、英米アングロサクソンと手を取いあい、スラブ民族からの国難を排除した輝かしい歴史を共有していたにも関わらず、
大東亜戦争時には、英米アングロサクソン陣営と不幸にして袂を分かち戦わざるをえなかった事は、誠に痛恨の極みであります。
少なくとも、現代においては、歴史認識は変化が見受けられ、左翼系スパイの歴史観については、一時期の勢いはなくなりつつあるのが現状です。
我々日本人を大東亜戦争の呪縛にとらわれるようにしむけても意味がないことは、縷々御説明申し上げておるところであります。
やはり、明治維新から大東亜戦争までの近代史を一体としてとらえなおすことが、左翼系歴史観の打破には重要であると考えております。


370 :日出づる処の名無し:2007/11/30(金) 05:55:59 ID:blLN47Nq
戦後の昭和期における左翼系スパイの歪められた歴史観や歴史認識は百害あって一理なしです。
マスコミや学校で繰り返し宣伝されてきたそれら偽りの歴史は、平成の御代では改められるべきなのです。
一方的に日本軍を悪玉ときめつけるなど言語道断です。
日本軍は漢民族と朝鮮族を満州族の大清帝国の奴隷から解放したのは事実なのですから。
広くアジアの黄色人種も、見下され白色人種から奴隷同然の扱いを受けていた事実を隠蔽して、有色人種の英雄日本軍を、貶めているは許せません。
我々子孫は、日本近代史に胸を張ってよいのです。

371 :日出づる処の名無し:2007/11/30(金) 06:29:15 ID:blLN47Nq
実は、我が国にとって最大の問題は、大東亜戦争の敗戦ではなく、国内に左翼のスパイが跳梁している事なのです。
反政府勢力は隣国と謀り、日本国内で謀略を繰り広げている事実は許容しがたい問題です。
彼らは、謀略活動を隠蔽するのに日本軍を巧みに使い、日本国の発展や成長を阻害しているのです。
歴史の一部分を切り取り、中傷したり、都合よく捏造するのはスパイのよくやる手口です。
彼らスパイのトリックに騙されない為にも、歴史認識や歴史観は中長期的な視点を持って、相手国の歴史も掘り下げながら見ていく必要があります。
やはり、相手国の文化や戦争史、を広くあたることは必須でありましょう。

372 :日出づる処の名無し:2007/11/30(金) 06:53:12 ID:xn0ledC5
思想の押し付けも困るけど、
他の思想の否定ってのも困るわさ。

心の問題は柔軟に、
並存できるように工夫しないと、
逆に不幸になる人が増えるし。

373 :日出づる処の名無し:2007/11/30(金) 07:08:59 ID:blLN47Nq
>>372
我が国が独自の歴史観を持つことは主権に関わる問題であり、譲れない思いがあります。
少なくとも、昭和期においては、必要以上に隣国に配慮した歴史観を教科書に反映してきました。
これらは改めて然るべきでありましょう。
漢民族や朝鮮族は大清帝国の奴隷であったことは紛れもない事実であり、奴隷解放をしてあげた日本人がこれらの周辺諸民族から抗議を受ける筋合いはありません。
寧ろ、それら周辺諸民族の指導者の無能を隠蔽する為に日本軍が使われていることが問題です。
あなたの国の指導者はいったい何をしていたのかを、日本人は周辺諸民族に対して問わなければならないのです。

374 :日出づる処の名無し:2007/11/30(金) 20:10:11 ID:blLN47Nq
歌聖明治天皇御製

世に広くしらるるままに人みなの
つつしむべきは おのがみにして
◎国民の上に立たれる明治天皇ご自身が、常につつしむべきはご自身であると詠まれました
自ら質素倹約に努められた明治天皇。
正に日本人の鏡であり、名君の誉高きお方であります。

375 :日出づる処の名無し:2007/11/30(金) 20:10:49 ID:hE5q/wKP
イケメンホスト VS 名城大学生 テレビ塔下での決闘映像
http://video.nifty.com/cs/catalog/video_metadata/catalog_071126045301_1.htm
893 VS 名城大学生 路上での殴りあい映像
http://video.nifty.com/cs/catalog/video_metadata/catalog_071124044698_1.htm
フィリピン人 VS イケメンホスト キックルール試合映像
http://video.nifty.com/cs/catalog/video_metadata/catalog_071120043538_1.htm


376 :日出づる処の名無し:2007/11/30(金) 20:51:11 ID:blLN47Nq
◎日露交渉の決裂◎
1903年7月28日、日本政府はロシアに駐留する栗野慎一郎公使に訓電を発して、日露交渉の開始となった。
ロシアは東京で小村外相とローゼン駐日公使との間で交渉することを求めた。
日本側が8月12日に提案した条件の中で主要なものは次の三点であった。
@清韓両国の独立と領土保全
Aロシアは朝鮮における日本の優越なる利益を承認し、日本は満州における鉄道経営につき、ロシアの特殊なる利益を承認する。
B日本は韓国における改革におよび善政のため、助言および軍事上の援助を与える権を有する。


377 :日出づる処の名無し:2007/11/30(金) 21:08:14 ID:blLN47Nq
◎A日露交渉の決裂◎

これに対して、1903年10月3日にローゼン駐日公使が小村外相に手交した対案は次のようであった。
@韓国の独立と領土の保全を尊重
Aロシアは韓国における日本の優越な利益を承認し、その民政を改良するための助言および援助を与える事を認める
B日本が韓国に軍隊を送る場合、ロシアに知照する
C韓国領を軍事上の目的にしない
D朝鮮半島の北緯39度以北の部分は中立地帯とし、両国ともに軍隊を入れない。
E満州及びその沿岸は全然日本の利益範囲外とする
日本側とロシア側との提案を比較すると、韓国の独立と、韓国の独立と領土の保全という点と、ロシアが韓国における日本の優越な利益を承認する点では一致しているように見える。
しかし、ロシアの提案では日本は韓国領を軍事上の目的に使用できない事になっており、朝鮮の北緯39度以北を中立化して両国ともに軍隊を入れないこととされている。
そして何よりも、満州及びその沿岸はすべて日本の利益の範囲外となっている。


378 :日出づる処の名無し:2007/11/30(金) 21:39:36 ID:blLN47Nq
◎B日露交渉決裂◎
1903年4月21日の無楼庵会談においても、6月23日の御前会議においても、日本は満州に関して譲歩することを決めたが、韓国については、一歩も譲らないことになっていた。
ロシアの提案は、一見韓国に関しては日本に譲歩したように見せながら、軍事面っは日本の行動に制約を加えている。
そして満州については、ロシアの独占的支配の意向を示しており、到底日本の飲めるものではなかった。
小村外相とローゼン駐日公使とは四回会談している。
10月30日にローゼン公使に手交された日本側の確定修正案で、日本は満韓双方に50キロメートルずつの中立地帯を作ることで譲歩した。
しかし、1904年1月13日の日本側最終案では、この中立地帯案は撤回されている。

379 :日出づる処の名無し:2007/11/30(金) 21:52:33 ID:blLN47Nq
◎C日露交渉決裂◎
☆ロシア討つべし☆

ロシア側の態度に一貫しているのは日本に対する軽蔑であり、満州を独占し韓国にも介入しようとする大国主義であった。
日本側の最終案は、開戦もやむを得ないという判断に基づいている。
1904年2月4日、日本では御前会議が開かれて、交渉の打ち切りと軍事行動への移行を決定した。
6日ロシア政府に国交断絶の通牒が発せられた。
開戦の決意がかたかったから、文章は逆に穏やかなものになっている。
宣戦布告が行われたのは2月10日であったが、2月8日には仁川に上陸を開始し、漢城に進駐して韓国政府に協力を要請している。

380 :日出づる処の名無し:2007/11/30(金) 22:33:15 ID:blLN47Nq
歌聖明治天皇御製

昔より 例(ためし)稀なる 戦に
おおくの人を失いし哉
戦死者をいたわらせたまはせ給ふ御歌です。
国の為に倒れ、彷徨える英霊を大御心により靖國神社にて鎮められました。
靖國神社は明治天皇の御聖慮により建立されたのです。


381 :日出づる処の名無し:2007/12/01(土) 12:53:44 ID:rweEP7JV
歌聖明治天皇御製

たらちねの 親の心は誰もみな
年ふるままに思いしるらむ

382 :日出づる処の名無し:2007/12/01(土) 23:20:38 ID:rweEP7JV
中国海軍の自衛隊イージス艦視察は、計画に気づいたアメリカの抗議により中止された模様。
自衛隊の機密情報の漏洩問題は深刻な状況です。
現在東京湾に入港している中国海軍関係者に機密情報の塊であるイージス艦を公開しようとしていたところを、情報を察知したアメリカ海軍やアメリカ大使館からの抗議で、急遽補給艦『ときわ』に公開する艦が変わった。
我が国が独自で国防をするのが難しいことを物語る事件です。

383 :日出づる処の名無し:2007/12/02(日) 03:40:53 ID:cuOmv5Uc
国防センス?

384 :日出づる処の名無し:2007/12/02(日) 03:55:48 ID:dqs0lq0M
>>383
ニュース速にある読売オンラインの記事が情報源です。
国防のセンスというかイロハがわかっていないようです。
情報軽視する傾向は旧日本軍も自衛隊もかわらないのかも知れませんね。
背広組の指揮官の能力を疑問視せざるをえない状況です。
自主防衛など不可能なのかもしれない実体が、そこにはあるのかもしれません。
中国や朝鮮の女スパイが男性自衛官にとりいり、各種情報漏洩に荷担したのは記憶に新しいところです。
見事に自衛隊の弱点を見抜いている支那軍は、さすが権謀術数の本家と言ってよいでしょう。


385 :日出づる処の名無し:2007/12/02(日) 03:56:45 ID:cuOmv5Uc
友好と敵対が極端なのかも。

386 :日出づる処の名無し:2007/12/02(日) 04:07:41 ID:dqs0lq0M
>>385
おそらく考えられるのは、
@公開することにより、敵意のないことを示したかった。
(敵意の有る無しに関わらず、支那は膨張政策を取っている)
A既に防衛省や外務省、国会議員にも支那や朝鮮のスパイが入り込んでいる為、巧みに公開に誘導した。
B通常公開される部分の公開であり、あくまでも親善目的であった(それが事実なら、ちょっと感覚を疑います)
Cむしろ最新鋭の戦闘艦を見せることでビビラセたかった。(そのぐらいでビビる支那ではないです)
誰が許可したのか?そいつをクビにしないといけませんね。


387 :日出づる処の名無し:2007/12/02(日) 04:24:44 ID:dqs0lq0M
諸外国に比べて、日本の自衛隊は何から何まで公開しているいると言っても過言でないくらいな現状にあるにも関わらず、支那軍は国防予算から偽りの数字を並べて実態の数倍から数十倍の予算を注ぎ込んでいます。

中国海軍が太平洋方面に足場を築くべく画策をしていることは、中国海軍の上層部の近年の発言からも明らかです。
おそらく、アメリカ海軍を東シナ海から追い出すのが当面の課題なのでしょう。
我が国のシーレーン防衛とも絡んで、今後益々東シナ海のイニシアチブ争いは激化するものと思われます。

388 :日出づる処の名無し:2007/12/02(日) 04:25:41 ID:cuOmv5Uc
軍事のための軍事は困る。

389 :日出づる処の名無し:2007/12/02(日) 08:46:27 ID:dqs0lq0M
やはり、自衛隊に戦争を戦い抜くノウハウが途絶えてしまっているのは大きい。
日米同盟を踏み台にして、来るべき支那や朝鮮、ロシアとの戦争に備えるべきだ。

390 :日出づる処の名無し:2007/12/02(日) 12:16:49 ID:PhgjR1P2
日露戦争こそ明治日本が興廃を賭けて闘った戦役だから、前レスでも出ているんだ
ろうが、当然記念日はあった。

3月10日が奉天大会戦の末に勝ち取った奉天入城の日で陸軍記念日。
5月27日が今でも多くの人が知っていると思うが日本海海戦の日で海軍記念日だ。

日露戦争100周年の時、自衛隊は知られていないだけで、色々やっている。と言っ
ても細やかに音楽隊の演奏会が主だが。
まぁ、100周年の時はぶつけたんだろうと思っているけど。海自は海軍軍歌を多く
やってくれたが、陸自は無難に行進曲と歌謡曲(J-POP)だったな。

2005年は日露戦争100周年で、自衛艦(特に主力である護衛艦)には5月27日前後に
Z旗を掲げていた。

戦前のように街の中心街で旭日旗に囲まれながら音楽隊演奏行進してもらいたい
ものだ。

391 :日出づる処の名無し:2007/12/02(日) 12:36:00 ID:12vZfE9+
アメリカが嫌がるだろ
日本軍潰してアメリカ専属の自衛隊つくったのに
また東洋のナチスを復活させるような記念日は復活させない
日本人にとっては旧軍でもアメリカ人にとっては仇軍であることを忘れるな

392 :日出づる処の名無し:2007/12/02(日) 13:32:43 ID:dqs0lq0M
>>390
素晴らしい御意見です。
まさに、現在の極東地域は『天気晴朗なれども波たかし』であり。
緊張感が高まっています。
旧軍の記念日の復活は、ニミッツ提督が空襲でなくなってしまった東郷平八郎元帥が祭られている東郷神社の再建と、
戦艦三笠の修復の費用を捻出してくださったことからも、日米同盟に差し支えはありません。


393 :日出づる処の名無し:2007/12/02(日) 13:38:54 ID:dqs0lq0M
>>391
残念ですね。
見解の相違です。
日本海海戦は世界三大海戦の一つとして世界史や戦史に欠かせない歴史の一ページです。
しかも、日露戦争の勝利は孫文やネール、毛沢東やベトナム解放運動の志士ファンボイチャウなどに感銘を与えています。
当時のイギリスでも絶賛され、ドイツ皇帝は危機感を募らせた事からも有名な戦いです。
我々日本人が胸をはれる戦いであり、日米同盟に差し支えはありません。

394 :日出づる処の名無し:2007/12/02(日) 16:35:04 ID:12vZfE9+
皇軍というのは市民軍の天敵なわけで
アメリカ人なら吐き気を催すものなのだよ
アイデンティティからして対立してるものなのだ

395 :日出づる処の名無し:2007/12/02(日) 18:55:03 ID:dqs0lq0M
>>394
あなたは米国海軍ニミッツ提督を勉強してくださいね。
東郷神社の再建や記念艦三笠の復興に戦後尽力されています。
イメージで語ってはいけません。
アメリカ軍人が軍神を祀る神道の神社を再建に手を貸しているのですよ。
悪玉のハズの皇軍の軍神の神社を身銭を払って再建?
何故でしょうか?

東郷平八郎元帥を尊敬し後世に残すべきであると思われたからです。

396 :日出づる処の名無し:2007/12/02(日) 22:23:58 ID:12vZfE9+
あなたは軍人間の敬意というプライベートな問題に
論点のすり替えをしてるだけです
もし自衛隊が皇軍だったら同盟しないはずです

397 :日出づる処の名無し:2007/12/03(月) 00:23:34 ID:OLePvlKB
>>396
残念です。
アングロサクソンである英国との同盟がすでに成功をおさめている実績が御座います。
不幸にして矛を交えた日米両軍ですが、現在ではすこぶる良好な関係を保っております。

398 :日出づる処の名無し:2007/12/03(月) 04:17:10 ID:qGCrpEiV
旧軍は、国民による軍隊じゃなかったっけ?
なんか、興味深い認識の相違がある。

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